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響由布子
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※連絡先はhibikiyuko〒gmail.com(〒を@に直してください)
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『信長公阿弥陀寺由緒之記録』

恥ずかしながら織田信長のデスマスクって初めて知ったんですが完璧トンデモでいいのか一応0.000001%くらいは信憑性あるのかわからないです。

と自分でfacebook投稿してから調べた事をここに保管。
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『信長公阿弥陀寺由緒之記録』より
 時に天正十年六月二日、明智光秀謀反の時、清玉上人は信長公の旅館本能寺に押寄せるをきき、塔頭の僧徒廿人余りを召し連れ本能寺に駆けつけられ、表門は厳重に軍兵四方を囲み寺内に入る事出来ず、裏道より辛うじて入るが堂宇に火が放たれ、すでに信長公が割腹せられしと聞き、そばの竹林に十人余の武士集まりて火を焚く者あり、上人がこれをみるに信長の家臣なり、之に顛末を聞くに信長公割腹の時必ず死骸を敵に渡すことなかれと遺言あり、しかし四方敵兵にて死骸を抱きて遁れ去る道なし、やむなく火葬し
て隠しおいて各々自殺せんと一同答えたり、上人信長公とは格別の由縁あるを以て火葬は勿論将来の御追悼をもなさんとて武士に乞い、各々自殺するよりむしろ信長公の為に敵にあたりて死せんことを望むと語りければ、武士ら大いに喜び門前の敵を向うすきに上人火葬し白骨を法衣につつみ本能寺の僧徒らが逃げるのにまぎれこんで苦もなく帰寺し白骨を深く土中に隠しおきたる。

※この後の記録には、遺品も少しあったのだが火事で燃えてしまったとか、秀吉に頼まれたが断っていたら干されたとか、戦国武将が毎年お参りに来てたが改易になっちゃったとか、信憑性に関わるマイナス事項がちょろちょろある。
※でも信長の1つ目の法名「天徳院」を付けたのはここのお上人さんだし、大正時代に勅使が来て信長の墓所として認定されたようだし……。
※「阿弥陀寺」と秀吉の墓所が最初置かれた「阿弥陀が峯」と関係あるのかな。距離が近いとは思うんだ。秀吉の墓所の移転前は、信長の眠る(と言われる)阿弥陀寺を見下ろす感じの位置関係だったのでは。

【追記】12.26.2017
※阿弥陀寺はもとは違う場所にあったらしい。確認もしましたが、言及できない。私は京都の地形に疎いので興味ある方は各自調べてみてください。
※阿弥陀寺の信長忌では信長公が使ったと言われる槍の先(刃の部分)と信長愛用の皮の手袋が披露されているそうです。
※こちらの寺から遺歯を貰って近江八幡の西光寺が信長の墓所を建てたそうです。
※富士のふもとの本門寺に信長の首塚があるとのことですが、もしかしたら阿弥陀寺から何かを分骨されて埋めたのかもしれませんですね(記録が紛失しちゃっただけかも)
※検索で来て興味ある人はコメントよろしくお願い致します。

該当の古文書(の写し)↓↓↓


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寛容と非寛容

■先日「この作家さんすごい」というタイトルで雑記を書いたところアクセスが結構あってびっくりしました。知人とか同業者が見てる事が多い気がするのですがやはりそうなのかな……それとも読書好きな読者さんが多いのかな。
■というような話はさておき、「寛容と非寛容」について思いついた事をメモメモ。考えた事そのまま書き連ねてますのでまとまってないですすみません。
■先日紹介した小説「光秀の定理」で凄いなと思った事の一つは、一神教と多神教の話(概念)が物語に入ってきていた事した。時代小説を読んでいて「もの足りないな」と思う事があって、それは信仰の部分なのです。もちろん行事としての信仰ではなくてもっと深い、思想や思考パターンに影響する理論としての信仰です。
■垣根涼介は信長を一神教の恐ろしさ(非寛容)に喩え、光秀を多神教の寛容に喩えて現代的哲学的な解説を加え、対立構図をより一層鮮やかにしようとしているようでした。こういう部分が、時代小説を読みなれていない人にもなじみやすいのかなと思います。
■一神教は怖いです。キリスト教でさえ、(本当は)異教徒は人間扱いじゃないんです。だからこそちょっと前の時代までクリスチャンでない黒人や黄色人に相当酷い事が出来たわけで……。
■この構図は一神教の宗教は全部同じです。聖書には「異教徒も不信心も等しく愛せ」とは一切書いてない、神に従わない者は裁かれると書いてあります。神に従うというのは、旧約聖書内の話で言うと息子を殺せと神に言われたらすぐ殺す、そうすることで神は汝を愛するのです。ほら信長と一緒や。
■日本の場合、「つくもがみ」と言い「八百万の神」といいます。あそこにも、ここにも神がおわします。みんな仲良く「和を以て尊しと成す」なんです。
■「博愛」という精神は本来のキリスト教にはありません。異教徒や神(=キリスト教の神)を信じない者は酷い目に遭って死ぬしかないそれが神の裁きなのです。今のキリスト教は聖書にない事古い預言者が説いた事を都合良く拡大解釈してしまっています。ぶっちゃけ金儲けの為です。
■最近の聖職者は聖書を読まないそうです。神学科でも聖書研究しないとか聞きます。
■多様性が推進される世の中にあって一番「思想弾圧」されている(と本人たちが思っている)のは一神教の敬虔な信者ではないでしょうか。社会的な活動をするなら異教徒を受け入れろあるいは優遇せよというのは敬虔な一神教信者にとっては苦痛以外のなにものでもないと思います。
■多様性を推進しようとするなら、融和の方向は間違っていて互いになるべく干渉しあわない棲み分けが重要になのではないかと私は思います。
■グローバル化で痛みを感じない利益を得る人だけがなんちゃってグローバル化の世界に住み、そうでない人たちは小さなコミュニティで同じ考え同じ思想基盤の人たちと暮らす、これこそが多様性ではないでしょうか。
■ただし交易と交流だけは平等に……というのが多様性のあるべき姿なのではないかと。実際生物多様性の世界では一番気を付けるのは外来種の侵入です。バランスが崩れてしまうんです。
■現況では個人的経験や現状に基づいた考えすら、言論思想弾圧で握りつぶされてしまいます。恐ろしい時代だなあと思うのです。最近は言論の自由を謳う人たちが自分と違う考えを社会的に抹殺しようとする動きが激化していて、そりゃ一体なんじゃらほいと思うのです。
■全世界的な傾向です。それに反発する動きがEU脱退だったり(政治的に正しくない発言をあえて繰り返す)トランプだったり。
■トランプに関する事で言えば、先日ナバホ族の代表者3人をオーバル・ルーム(大統領執務室)に招いて、自分の演説台で10分近く演説してもらいました。おまけに報道陣の前で何度も「彼らは我々よりもずっと前からここに住んでいる」という点をホワイトハウスの中枢部分で強調しました。単なるご機嫌取りでしょうか? ナバホ族(というかインディアン)は票田としては殆どないに等しいのに?
■ナバホ族は大統領選の時からトランプ支持でした。どうしてでしょう?
■差別するなというリベラルは口で色々言ってもアメリカ建国以前から住んでいた人たちに対してトランプほどの敬意を表して来なかったからだと思います。それどころか不法移民を安く買いたたく事で彼らの生活を脅かし続けています。※労働者として近い層にいるので不法移民が増えると彼らの生活が圧迫されるのです。
■このような事から「実態のない綺麗な理想」はもう信用されてないのです。もういい加減言葉だけの態度にうんざりしてるのでしょう。
■ナバホ族に限らず「インディアン」は「ネイティブ・アメリカン」という言葉を断固拒否しているのだそうです、今回初めて知りました。差別禁止の名のもとに「ネイティブアメリカン」という言葉の中にインディアンもエスキモーもポリネシア人も一緒くたにまとめてしまい、インディアンの正当性を建国の歴史から抹殺しようとしているように彼らは感じている、という話を読みました。そうだったのか……。そうらしいですよ奥さま。

facebookは便利!

■facebookはネタ帳としてとても便利。忘れた頃「◎年前の今日の投稿です」と自分のメモを見せてくれるので、とてもありがたいです。エロ系記事は消えてしまう事が多いので、本文を転載してコメントも付けておきます。ネタ帳より優れているのは一般読者であるfacebook友の素のコメントが付く事です。ここは非常にありがたいです。
■「こんな事件あったっけ」「こんなエログッズあったんだっけ」と毎日思い出させてくれるので励みになります。
■これで過去記事の検索機能の性能がさらに良かったらとても嬉しいのですが……。
■facebookは園芸日記としてもすぐれているのです、この花が昨年はどうだったのか一昨年は何月何日に咲いたのか、「◎年前の今日の投稿」で見せてくれるからです。
■園芸日記としては「剪定した日」「肥料をやった日」の方が重要なのですが、それは今まであまり記入してなかったですね……今後の課題といたします。
■ブログはどうかというと、こちらの方が過去記事の検索機能が備わっているし、非公開記事として保存していられるし、こちらもとても便利。dropbox(←有料コースにして書いたテキストは全部入れてる)とfacebookとブログとメールの恩恵受けまくりですね!
■何がありがたいって、パスワードさえちゃんと管理しておけばPCが突然クラッシュしても全然困らないという事なんです。データは外に保存されているので。
■そんな私が一番困るのはfacebokのアカウント凍結です。お手上げだ!emoji

土に点3

「土に点1」で書いた事の出典をやっと探し出してきました。
結論から言えば、聞き取りした話を単に書いているだけで、古文書で裏付けをしたり学術的に意味を見出そうとしていたりするわけではありませんでした。「ハニ」と言う言葉は実際にあったのは間違いないですが、「」と「圡」を大昔から区別していたという論拠は書いてありませんでした。
誤解のないように該当部分をすべて転載致します。
※一部修正、一部の字が消えてしまう…土の上部にテンは土’と表記し直しました。本当はテンの向きが違います

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「苗字に生きるやまとことば」p166-167より(青春出版社)
第四十七話 土’野さん

 土に ` (テン)が付いている。
 土’
野の苗字もある。これに点「、」がついたのは「土野とちがうんだヨ」と言っているわけ。
 それならどう違うか。
 土野はツチノとふつうよむ。しかし土’
野さんは、ハノと読む。ハノの語源はハニノで、これを略した形とみられる。土(つち)といえばいろいろな土がある。泥(どろ)は、どろどろした水をふくんだもの、ツチはいっぱんにふつうの土壌で、特殊な色(赤、黒、茶など)もしていないもの。いわゆる土色で、ねばり気もなく、砂ほどでもないもの、ハニは、ねばり気のつよい、茶色や赤味をおびたもの(中には黒もあるが)で、器などにするものが多い。
 土’
野さんがハノとよませたのは、このハニの土を強調しているらしい。それでツチノとかドロノとか呼んでもらいたくないのだ。
 すると ’(テン)はハニがハネ(跳ね)て、飛んでる形も見られおもしろい。
 土の文字を苗字に用いる人はほかに、土’
(つち)、土’井(つちい)、土’浦(てうら)、土’屋(つちや)、土’岐(とき)、土’公(どこう)、土’江(どえ)、土’田(ほどた)、土’佐(とさ)ほか十数氏ある。ところが、圡野(土’ではなくて圡)という人に、ぐうぜんお会いすることができた。おどろいて、
「なんとおよみするのですがか」
 とお伺いすると、
「ヒジノです」
「ハノではないのですか」
圡の '(テン)がすこし下の位置にあります。土’ではなくて圡です。これは水気がふくまれていて少し重いので圡にしました。ドロに近いハニです」と。
「お仕事は?」
「窯をやっております。祖は
圡師(はじ)でした」と。
-----
※転載終わり。
 それにしてもこの出版社のこの本は、開き(漢字を平仮名に開く事)が多すぎて逆に読みにくいです……。
参考)
「漢字林」土部
http://ksbookshelf.com/DW/Kanjirin/Kanjirin33.html


◎=土’

土に点2

■先日書いた「土に点の文字の、点の位置によって土が違うという説には懐疑的」という話の続き。
■その説を説いた日本の氏姓研究第一人者と言われる丹羽基二先生の他のご著書を読んで面白かった事など。
■田んぼについて、美味しいコメが取れるのが自慢な地区は「飯田」、高台にあって日がよく当たり水はけがいい田んぼの地区は「高田」「上田」、低地にあってすぐに水が溜まって水に草が浮く田んぼの地区は「池田」もしくは「浮田(←この苗字の一族が増えすぎると区別のために宇喜多、宇喜田などの飾り苗字が派生する)」、こちらの方はとても納得しました。というのは大昔、良いコメが獲れるかどうかは多くの民の死活問題だったからです。社会の関心も高かった事でしょう。
■土器作りの土の様子がどうなのかについては、土器作る人以外にはどうでもいいし、もし本当に土の状態が気になるなら田んぼに対しての命名みたいにもっと違いのはっきり分かる苗字にするのではないかなと私は感じるのですが……。
■ただしこの件について自分は否定のための材料集めしているような気がしてます(自覚あり)。
■もう一つ面白い事が書いてありました。「村田」と「田村」の違いです。「田村」は良い田が出来る場所に人が集まって村が発生した事を表し、「村田」は村に(新たに)出来た田んぼの地区を言うのでは、という説です。「田村」の方が苗字としては古いというわけですね。
■飲み屋での与太話みたいに聞こえなくもないのですが、丹羽先生の凄いところは数多くの古文書をきちんと読み解いて推論しているところなのです。氏姓制度(年代別の違い等)と苗字と名字と屋号の違いなども言及されています。
■それにしても、インターネットやSNSが普及していなかった時代これだけの苗字を集めて話を聞き、分類することは大変な作業だっただろうと思いました。我々はとても良い時代に生きているのだなあと思うのです。


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