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みつひで心の短歌

『われならで たれかは植ゑむ 一つ松

      こころして吹け しがの浦風』 

 私でなくていったい誰がこの一本松を植えるだろうか
 志賀の浦風よ、こころして吹きなさいよ(枯らすなよ)

自ら武王に比し、信長を殷の紂王にたとふる心、後にあらはれたりと人はいひけり。
『常山紀談』←湯浅常山(1708~1781)が著した戦国逸話集 より抜粋

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私もこの句を見た時一瞬「古代中国の思想?(易姓革命的ななにか)」と感じた。
けどやっぱりそれは考えすぎじゃないのかな……。

でもこういう短歌に彼の人柄がよく表れているように思えます。
植物に対する素直な愛を感じるw
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鉄器文化の講演2

【黒海・カスピ海北岸地域における鉄器文化成立期の諸問題】その2
■というわけで、基本的な事を転載(コピペ)しておきます。
http://www.infokkkna.com/ironroad/2013htm/iron9/1311kyoudo00.htm


「鉄の起源」や「ユーラシア大陸の東西を結ぶ金属器&鉄文化東伝の道≪Metal Road & Iron Road≫の探求を進める愛媛大学東アジア古代鉄文化研究所のチームが日本・中国・モンゴール・ロシア・トルコの研究チームなどと積極的に共同発掘調査研究をすすめている。 
その過程で 愛媛大・モンゴル共同チームが、従来は製鉄技術がないと思われてきた中央アジアの遊牧の民「匈奴」の製鉄炉跡をモンゴル国内で発見・発掘した。ビッグニュースである。
紀元前3世紀から紀元1世紀にかけて ユーラシア大陸の中央モンゴル高原に起こった遊牧の騎馬民族「匈奴」。
当時中国は「秦」「漢」の時代、この匈奴の侵入を防ぐため、万里の長城を築き、当時の先端技術ですでに大量量産の製鉄技術を確立していた「漢」はこの技術がほかに流出せぬよう、鉄官などを置き、厳しく国家統制していた(溶融鉄還元間接法)。


匈奴が南の中国と対峙する一方、ユーラシア大陸の西では 匈奴の侵入を発端とするヨーロッパの民族大移動が起こっている。
この「匈奴」の爆発的エネルギーの根源は騎馬民族の「略奪」に支えられていると考えられていたが、今回の発見・発掘で≪匈奴が独自の製鉄技術を有していた≫ことが、次第に明らかになってきた。

また、愛媛大が進めてきた中央アジアでの数々の共同調査で、紀元前12世紀ごろヒッタイトが発明した製鉄技術がユーラシア大陸を東伝して、
早くからインド・中国に伝わったばかりでなく、黒海・カスピ海の北岸からユーラシア大陸中央の草原を通って、西シベリアやモンゴルにまで伝わっていることが明らかになり、古くからユーラシア大陸の東西をつなぐ、金属器・鉄器文化伝播草原の道≪Metal Road & Iron Road≫があったということも次第にあきらかになってきたという。
. ---- 村上恭通愛媛大教授「鉄と匈奴」シンポ 基調講演より

この「匈奴」の時代 日本は弥生時代で鉄器時代には入ったものの、
まだ 製鉄技術はなく、中国大陸から「鋳造鉄斧」などの鉄器が使われだした時代である。
その後 移入鉄器や素材にして鍛冶加工して鉄器作りが進むが、日本で製鉄が始まるのは5世紀後半。


しかも、中国の先端技術であった溶融鉄還元間接法が広く行き渡っている東アジアの中で、大陸・朝鮮半島と広く交流があったにもかかわらず、唯一ヒッタイトの鉄からつながる塊錬鉄直接製鉄法である≪たたら製鉄≫が始まる。
なぜ、効率よく量産できる溶融鉄還元間接法でなく、塊錬鉄直接製鉄法が伝わり、その後長くこのたたら製鉄が行われ続けたのか???


東アジアで塊錬鉄直接製鉄法が消えてゆく紀元前2世紀の漢の時代から5世紀にかけて、
この塊錬鉄直接製鉄法を受けついできた地域がきっとどこかにあるはずと。
いまだにこのたたら製鉄の伝来ルートは謎のままである。


ところが、中国では溶融還元間接法での量産製鉄をすでに始めていた紀元前3世紀から紀元1世紀にかけての匈奴の時代に、製鉄技術を持たぬと思われていた「匈奴」は塊錬鉄製鉄法で鉄を作り、世界を駆け巡っていた。
この「匈奴」の時代 そんな塊錬鉄の製鉄技術の痕跡がユーラシア大陸中央の草原に点々とあり、モンゴル・西シベリヤやバイカル湖周辺にも及んでいるという。


ユーラシア大陸の東西を結ぶ金属器&鉄器文化東伝 草原の道≪Metal Road & Iron Road≫が信憑性をもって語られている。
もう少しで、中国を経ずとも東アジアの日本海沿岸につながるのでは・・・・と期待が膨らむ。

(続きはリンク先にて。変なところで切ると意味わからなくなるので結構長くコピペしてしまいました済みません!)


鉄器文化の講演

【黒海・カスピ海北岸地域における鉄器文化成立期の諸問題】その1


■今日はオリエント博物館のナイト講座に行って来ました。来年再来年に投稿を読み返すためにここにまとめておきたいのですが、知識が無くてちんぷんかんぷんだった&字が汚くて読み返せないのダブルコンボに苦しんでおります。
■一番印象に残ったのが「大陸では製鉄の長(おさ)は祭祀の長(おさ)という傾向が強く、製鉄の道具を副葬品に入れているケースがある。子供の死骸の脇に製鉄の道具が副葬されているのは多分その子供は祭祀の跡取りだったのだろう。しかし面白い事に日本ではいまだ製鉄の道具が副葬品として出て来た事が無い」という話でした。←聞き間違ってないと思う
■ちょっと前まで朝鮮半島でも子供の副葬品として製鉄の道具が出てきてなかったのだが、近年出土したとも。
■製鉄の発掘調査は愛媛大学が世界の最先端らしい……

『信長と弥助』より転載

『信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍』から転載
 ロックリー・トーマス著 不二淑子 著


"二十世紀前半に日本が強国となり、その国際的影響力が非白人国の中で突出したとき、日本国内で非ヨーロッパ世界と再びつながろうとする動きが起こり白人帝国主義の犠牲者である黒人に対しても親しみを持つようになった[1]。第一次世界大戦前に〈脱亜入欧〉というスローガンを掲げていた時期の反動とも言える流れだった。第二次世界大戦直前の日本は、当時の西欧社会がけっして日本人を同等とは見なさないことを認識し、考えを改めたのだった。この新しい波が起こった結果、弥助の逸話のように半分忘れ去られていた話の多くにスポットが当てられ、非ヨーロッパ世界との国際協調を促すために利用された[2]。"

"ここで忘れてはならないのは、日本が第二次世界大戦に参戦した大義名分は──最終的にどういう結果になったにせよ、また戦後に歴史がどう捉えたにせよ──、ヨーロッパ列強の植民地支配からの脱却だったという点だ。二十世紀初頭には世界中の何百万もの人々がこのメッセージを信じ、日本の方策を支持するにせよしないにせよ、そこから何かを感じ取っていた。その中には、ガンジー、中国最後の皇帝溥儀、孫文、スカルノ、アウンサン[ビルマの独立運動家。アウン・サン・スー・チー氏の父親]といった著名人や、それほど有名ではないアジアやアフリカの独立運動の指導者たちもいた。今日ではほとんど忘れられているが、日本軍には日本国内の日本人だけでなく、台湾と朝鮮の植民地部隊(2)や中国と満州の志願兵、遠く離れたインドの反植民地主義者の同盟軍(3)も含まれていた。また、二十世紀初頭には、欧米列強による統治と支配を終わらせてアジア人のためのアジアを築くという汎アジアの夢の名のもとに、中国やフィリピンで起こった独立運動に参加して死ぬまで戦った日本人志願兵もいた。"

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だよねえ。

信長のデスマスク


■昨日書いた「信長のデスマスク」についてもうちょっと調べた事など……。トンデモであろうがなかろうが、気になったら調べるというのが大事な事かと思います(すぐ忘れるけど書き留めておけば大丈夫だ!)


1)もっとも古いデスマスク(その技術は)いつ?


2)デスマスクを作ったと言われる信長の近習・弥助(日本初の黒人侍・元はイエズス会ヴァリアーノの奴隷だった)が当時デスマスクを作る技術を知っていた可能性は?


3)斬首のあとの信長の顔が穏やか⇒だから偽物だという指摘はOK?


4)デスマスクの材料はナニ?


■と思って調べたのですが、結論から言うと


1)自分が確認できた最古のデスマスク(粘土で型を取ったデスマスク)は「神曲」作者のダンテ(1320年死亡)のデスマスク


2)知りえた可能性アリ。技術はすでにあった。ローマン・カトリックのマルチン・ルター(1546年死亡)のデスマスクがある。無名の人のデスマスクはもっとあるらしい。


3)斬首の後でもデスマスクの顔つきは穏やかという実例があった! メアリ女王です。


4)信長デスマスクの持ち主によると、材料は五斗薪粘土。今ある信長のデスマスクは焼いてない状態で柔らかいらしい。「五斗薪粘土」とは五斗薪地方(土岐)で良く取れることから付いた名前。あら、土岐と言えば明智じゃないですか。偶然かな。持ち主はどうして「五斗薪粘土」と言い切っているのだろうか。


2)、3)についてですが、画像を見てみて下さい。この画像はイングランドで斬首刑になったメアリ女王(カクテル「血まみれマリー」の名前の元)のデスマスクです。恐怖や苦悶、絶望の表情などは無い=デスマスクを出来るだけ生前の普通の表情に似せるような修正・作法などが当時あったかもしれない。
【追記】このデスマスク、後世の偽ものという噂があるらしい…… orz


※ちなみにパブなどで男が女に使う下品なジョークに「Are You Mary Now?(あなたは今メアリーですか)」というのがあって、それはMaryBloody(血まみれ)⇒生理中? なんだそうです。くっだらねぇ~~。




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