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[09/30 響由布子]
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響由布子
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日記は数ヶ月ごとに整理しています。
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武蔵の古代史

【武蔵の古代史 森田悌著 さきたま出版会】からの写し(自分が気になった処)

(中略)郡司大領に授けられる位階が外従八位上であるから、正六位上は地方出身者としてはざらにない昇進であり、外従五位下昇叙は最末とはいえ、三位以上の上級貴族を指す貴(き)に準ずる通貴(つうき)と称される五位以上の身分になる事であり、位禄や位田(いでん)、資人(しじん)の賜給に与かり、子孫は蔭位(おんい)の特典に浴することのできるエリートである。武蔵国ではⅡの二の2「高麗・新羅郡の健郡」でとりあげる高麗郡に関わる高麗朝臣の氏人のなかに中央官人として高位高官に達している例があるが、これは渡来系入植者という特殊な人たちで、生え抜きの在地豪族とは異なる。天平宝字八年(764)段階において外従五位下に至っている在地系武蔵国人となると、丈部不破麻呂が唯一人と言ってよいであろう。 (p110-111)
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 ここで、丈部直・武蔵宿禰が奉斎したとされる、さいたま市大宮区高鼻町鎮座の延喜式内氷川神社についてみると、天平神護二年(766)、七月に神封(しんぷ)三戸が寄進されるという優遇を受けており、丈部直の急速な浮揚期と時期を同じくし、丈部直と密接した神社であることを示している。
 この神社の祭神は近世以降出雲系の素戔嗚尊・奇稲田姫・大己貴神からなる三神とされているが、中世以前にあっては火神カグツチを祭神とし、氷川神社の最重要祭礼である十二月の大湯祭(だいとうさい)は元来は火剣祭を称し、火渡りをともなう火祭りであった。カグツチは出生時に母神イザナミノミコトを焦殺し、怒った父イザナギノミコトにより斬断されるという異様な伝承の持ち主であるが、火徳に注目すると製鉄や鍛冶の場で不可欠な神霊であり、私は氷川神社が見沼に流れ込む水量豊富な泉流、氷川に由来するにしても、火神を祀る神社として発展し、製鉄・鍛冶に関係する人たちが関与した神社であったとみることができるように思うのである。氷川のヒは茨城県水戸市に近い涸沼(ひぬま)のヒと同じで水量が豊富な事を意味し、氷川神社を出雲大社・杵築大社を勧請したとする所見が依拠とする、氷川を出雲の揖斐川に結び付ける理解は、氷川のヒが甲類なのに対し、揖斐川のヒは乙類なので支持しがたい、といわざるを得ない。(同本のp115)
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これは私の要約(p114)
・氷川神社北東の伊奈にはさながらコンビナートのような大規模な製鉄場が存在した(発掘された)
・原材料は元荒川の豊富な水量と大量の砂鉄
・コンビナートで製鉄がなされたのが八世紀後葉、ちょうど丈部直の急速な浮揚と時期が符合する
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海から見た衣と装いの文化

【要約】 自分にとって面白かった部分のみです。他の本からの情報も混ぜてたメモですので正確さを求める人は下記の本をぜひどうぞ。
(「古代日本海域の謎 海からみた衣と装いの文化」新人物往来視野より)
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・魚皮をなめして着る文化はおおむね北緯40度~60度の間の水際に見られる
・特殊な技法を使わないと魚皮を実用的になめすことが出来ない
・魚皮のなめし加工には魚卵か動物の脳髄が使われる
・日本の奈良時代の記録の中に、病気で死んだ牛馬の脳髄を取り分けて献上させる記述があって、これがひょっとしたら魚皮なめし加工のためのものかもしれない。実際に地方の遺跡の中から脳髄をわざわざ取り出したと思われる牛が見つかっている。
・考古学上において「ない」という事は「なかった」を意味しない
・随分前に遺跡内の植物の遺物を植物学者に鑑定依頼したら、単なる枝だと思っていたのが「これは立派な加工物、道具です」と言われたことがあった。それまで道具の遺物といえば石器・土器を意味していてそれ以外のものは考えてなかった=考古学上「ない」。
・ところが新たな気づきで「あった」になった。⇒「ない」は「無かった」とイコールではない。
・つまり魚皮文化が日本に根付いていたかどうかはまだ正確には分からない。今まで「魚皮」を視野に入れて発掘調査をしてきてなかったので見落としているかもしれない。
・(脳髄をわざわざ取り分ける理由としては有力かなと←なめし技術の到来)
・魚皮は軽くて風を通さず天然の防水加工なので表地としても裏地としても非常に良いそうです。
・シベリア・アムール川流域から出土した新石器時代の土器が縄文時代早期の土器と非常によく似ている(絡条体圧痕文)
・ソビエトの学者が来日した折に持ってきた40点ほどの石器(黒曜石)の原産地、2/3が日本だった。男鹿半島産、隠岐島産もあった。時期は旧石器時代終わり~新石器時代初めころ。
・大陸から文化が来ただけではなく日本からも文化が行ってる
・北海道(アイヌ)を中継地点に文化交流?
・新石器時代の日本で麻が出土したが大陸からきていてもおかしくない
・中国と日本では「錦」の意味が少し違う。日本はその色彩を表す言葉と考えられるのではないか。「丹(に)」「紫(し)」「黄(き)」秋の山の色。
【これは私の感想】
大昔の日本列島(日本海側)では男女の衣装が明らかに違っていた。シベリアなどでも男女の衣装が違っている。←これって男女によって寒さに強い、弱いの違いがあるからかもしれないと思った。それと行動様式の違いが衣装の違いに出てくる。
女の方が出産育児があるので皮下脂肪をため込みやすい=寒さに強い。また巣ごもりは女で外で食べ物取ってくるのが男という生活だと衣装を違わせないと合理的ではないのかなと。

3の霊力(メモ)


【要約】自分の興味でメモったものです。


(「日本人の心をとらえる3の霊力に迫る」 井沢元彦 旅行読売出版社)


・1は他の排除、2は対立、3は和、協調を表意味する。


・「三大ナニナニ」というまとめはとても多い「三大祭」「日本三景」等。


・ヤタガラスの脚は三本


・天皇の権威を象徴する道具も三種


・平安時代の書物の中に「日本三大建築は【雲太、和二、京三】とあるがこれは出雲太郎、大和二郎、京都三郎の意味である


・それぞれが出雲の神殿、大和の東大寺、京都御所を指すものとされている。


・出雲の神殿は「国譲りの場」、大国主命と天照大神の話し合いの場である


・東大寺は仏教、京都御所は天皇の象徴である。


・十七条憲法の順番がまさにこれ。一、和(話し合いによる解決)、二、仏教の尊重、三、天皇への服従、の順である。 ※並び順に大きな意味がある


・十七条憲法は「命令」ではなく「日本人は昔からこうだったのだよ」という「事実の指摘」なのである(全文を読み下してみよう)


・『古事記』でも冒頭に現れるのは三人の神(三柱)


・あめつちのはじめてひらけるとき、たかまがはらにあらわれるかみの名はアメノミナカヌシノカミ・タカムスビノカミ・カミムスビの神


・日本の神の祖であるイザナミ・イザナギから生まれた神も三柱。アマテラス・ツクヨミ・スサノオ。


・ところがそれぞれ三柱の中でまったく働かない神が混ざっている。


・ツクヨミとアメノミナカヌシである。


・記述もほとんどないにもかかわらず、歴史上から落ちこぼれる事もなく三柱の一として敬われているのはなぜか。


・これこそが「日本」である。「和をもって尊しとなす」である。


・こうした日本の原理を心理学者の河合隼雄氏は「中空構造」と呼んでいる。


・「キリスト教神話では、中心に存在する唯一者の権威、あるいは力によってすべてが統合される構造をもっている。統合によらず均衡に頼る日本のモデルでは、中心は必ずしも力を持つことを委せず、うまく中心的な位置をしめることによって、全体のバランスを保つのである。」(「中空構造日本の深層」中央公論新社刊)


・日本人にリーダーシップがない、といわれるのも、実はここに理由がある。


・リーダーシップとはあくまで一神教世界の話であって、日本ではそれは「わがままを主張する」ことだから、「和を乱す」悪い事になってしまう。


・織田信長のようなリーダーは長続きしない(日本では)


・ただし乱世の場合は、「信長」の出番である。


・今は乱世である。国際競争に勝つには日本人に嫌われるリーダー・タイプでないと難しい


日本の呪術(メモ)

【自分用メモ】とても分かりやすかったので一部抜粋抜き書き。

すぐわかる日本の呪術の歴史

この本分かりやすいしカラフルで絵が多いし(私にはこれが大事です!)
年表も付いてておススメです~。


◆原始的な呪術の系譜
 日本の呪術の流れを見ると、アミニズムに立つ呪術の時代から、陰陽五行説の呪術の時代を経て、近代科学のもとで呪術が非合理とされた時代に至る流れがある。この中の陰陽五行説は、日本ではさまざまな宗教と結びついて、政治に大きな影響を与えてきた。
 旧石器時代の日本でも、呪的行為がなされたと思われる。そして、縄文時代の遺跡からは、明らかに呪術に用いたと見られる土偶などの多様な遺物が出土する。
 それらは、自然の精霊を祀ったものであると考えられている。そして、縄文的な自然崇拝は、大和朝廷のもとで神道の原形へと発展していく。
 それは、首長霊信仰と呼ぶべき、集団の指導者の祖先を神として祀り、その神が自然の精霊にあれこれ働きかけをすると考えるものである。これによって、太陽神であり、皇室の祖先神である天照大神がつくられた。


両部神道etc

【両部神道】について

・両部とは、日本の神々が密教によって解釈され、再編成された神道
・両部とは、密教の本尊仏である大日如来の二つの働きの相、胎蔵界大日如来(天照大神)・金剛界大日如来(豊受大神)としている。
・本地垂迹説とは、仏や菩薩が人々を救済するために神の姿になって現れるという説。(神仏集合)
・こうした神を権現という。権は臨時の、仮のという意味。仮の姿で現れる=権現
・両部は空海によって創唱されたと言われているが平安朝時代から密教系の僧によって教説が整えられ、成立したのは鎌倉時代と言われている
・空海は密教の修業場として高野山に金剛峰寺を開いた。高野山には古くから祀られている丹生明神(丹生都比売)があった。これが両部神道の元となる。
・丹生とは水銀と硫黄の化合した鉱物
(ここまでの出典は「武蔵国と氷川神社」西角井正文)

【鍛冶と鍛冶神について】
・農村地帯でも鍛冶を祀る人がいた。というのは農村地帯こそ鋤鍬の手入れが必要
・村の鍛冶屋は大概村の端に位置していた(火を使うので)
・「鍛冶屋と粉屋の隣は空き家」という冗談が伝承で残っているらしい。
・かつての村の鍛冶屋は「屋号」に残っている(フィールドワークにて屋号確認)
・鍛冶屋を辞めるにあたって神社から自宅内に金山神を移動する人などの存在アリ
(この出典は「郷土史研究会」会報等)

【丹生について】
・丹生は古代中国でも古代日本でもとても重要な鉱物で用途はたくさんあった。
(出典:小論文「日本水銀鉱床の史的考察」矢嶋澄策
・丹生採掘と土蜘蛛との関係
・中央構造線上に水銀鉱脈がある(と言われている)
(出典:歴史好きな人ブログが孫引きしていてネタ元は分からない)
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という基礎知識を踏まえて先日の郷土史研究会での雑談を思い出してみる

「両部鳥居ってのは鍛冶神と関係あるんじゃないかと思ってるんだよね」
「でもこの神社は違う神様ですけど」
「うん、祭神を途中で変えられてしまう事あるからねえ」
「何で両部と鍛冶が関係あると思ったんですか?」
「いや、なんとなくだよ。この辺にも鍛冶屋が点在していたようだし。まあ、気になったらできるだけ例会(研究発表会)に出て下さい」

全然「なんとなく」じゃなかった。やっとわかった。
※空海は山師(鉱山を見つける人)とも言われていたらしい。


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