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[01/10 響由布子]
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響由布子
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※連絡先はhibikiyuko〒gmail.com(〒を@に直してください)
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偽経「血盆経」について

【血盆経1】

■地獄絵図に出て来るような地獄の概念は、もともと神道にも仏教にも道教にも無かったそうです。それが出て来たのは神仏混合で陰陽道が混ざった頃だということです。「往生要集(985年)」が初出とのこと。


■その地獄絵図の中に血の池地獄と言うのがあるのは皆さんご存知と思います。


■あの血の池地獄というのは女性が出した月経血やお産の時流した血で出来ていると言うのはご存知でしたでしょうか? 私は知りませんでした。


■そもそも仏教に於いて女性(にょしょう)は生まれ落ちた事それ自体が罪なんだそうです。なぜなら女は毎月血で大地を汚すからです。お産のたびに血を流すからです。


■キーワードは偽経「血盆経」です。偽経とはニセという厳しい意味ではなく仮とか補助とかいう軽い意味だそうです。


■「血盆経」とは、女性が女性特有の出血のために、死後、血盆池(血の池)に堕ちる事を説く短文の仏教経典のことである。経諸本には多少の異同があるが、おおむね次のような内容からなっている。


『仏弟子の目連尊者が、血盆池地獄を見る。ここは、出産時の出血(および月経)で地神を穢し、また血の汚れを洗った川の水を人が知らずに汲み、茶を煎じて諸聖に奉り、不浄を及ぼしてしまう罪によって、女性だけが落ちる地獄があった。母の恩に報いるため、目連は獄王(あるいは仏)にこの地獄から逃れる方法を問う。当経は、十世紀以降に中国で民間仏教経典として成立したと言われている。


■血の池地獄に落ちた女人たちが救われるためには、「血盆経」を信じてこれを書写し、読経し、受持するならば、三世の母親はことごとく天に生まれて諸々の快楽と衣食を受け、自然に長生きが出来、浄土に往生することが出来るとある。


■仏教で救われるのは基本的には男子のみで、女はその原罪により地獄に落ちるというのが昔の仏教の教えであった。(釈迦をたぶらかすのも女だった)(釈迦の母は釈迦の追善供養により助かったらしい)


■現代の女性から見たら酷い女性差別(蔑視)かもしれないが、当時は地蔵盆の地獄絵図を見るのは女子供と決まっていた。いわば女子供の娯楽タイムでもあった。地獄絵図を見る地蔵盆などの「講」の中心はいつも女だった。自分たちが地獄に落ちないようにしっかり念仏唱えてくるからアンタ舅姑の面倒と畑と洗濯と掃除やっといて! みたいに大手を振って集会場に行ける楽しいひと時だったのではないかと講師の女性は仰ってました。そうかもな~とは思います。


 


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檀那寺

先日読んでいた本に「神主さんにも必ず檀那寺があった」と書いてあって凄いビックリしました。江戸期以前の話だそうです。「そうなの!?」と思ったのでここに書いておきます。
真偽はそれぞれが調べて下されば。私は私でそのうちやります。
検索して辿りつく人のために、分かったらここに追記しておこうかな。

avast!(無料)が勝手にメールの最後に

avast!(無料版)がメールのフッターに勝手に文字列をくっつけてしまう件について。

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金・銀・銅の日本史

あとがき
 私の研究の拠りどころは、材料科学である。先端的な開発に携わった時期もあったが、現在は主に、発掘資料や博物館資料など、いわゆる文化財を中心とする「歴史的な材料」を「材料科学」の最新の分析手法で解析することを専らとし、専門を、「歴史材料科学(archaeomaterials science)」と標榜している。これは、「何を使って、どうやって作られたか」を探ることにも繋がる「材料技術史」でもある。いわゆる「文系」の資料を「理系」の手法で読み解く、文理融合型の分野である。(中略)材料から見る歴史観とでもいおうか。
 それは、史書や文書、絵巻などの文献資料からでは窺い知れない世界であろう。古来、モノ作る人々は、秘伝のレシピを細かく文字や記録に残さない。秘伝は、長い間、一子相伝、しかも口伝に限られた。「もの」言わぬ実資料だけに秘められた、モノ作る人々の「生々しい記録」を、蘇らせるのが私の役目であろうか。
 中でも、「金・銀・銅」をめぐるデータの蓄積は豊富にある。その一部を紡いで編んだのが、本書である。 
            (「金・銀・銅の日本史」村上隆(りゅう)岩波新書)
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※まだ読んでる途中なのですが、この人の講演があったら聞きたいと思うので、備忘録的にこちらに書いておきます。村上隆氏は石見銀山資料館の名誉館長さん)
https://www.amazon.co.jp/dp/4004310857


武蔵の古代史

【武蔵の古代史 森田悌著 さきたま出版会】からの写し(自分が気になった処)

(中略)郡司大領に授けられる位階が外従八位上であるから、正六位上は地方出身者としてはざらにない昇進であり、外従五位下昇叙は最末とはいえ、三位以上の上級貴族を指す貴(き)に準ずる通貴(つうき)と称される五位以上の身分になる事であり、位禄や位田(いでん)、資人(しじん)の賜給に与かり、子孫は蔭位(おんい)の特典に浴することのできるエリートである。武蔵国ではⅡの二の2「高麗・新羅郡の健郡」でとりあげる高麗郡に関わる高麗朝臣の氏人のなかに中央官人として高位高官に達している例があるが、これは渡来系入植者という特殊な人たちで、生え抜きの在地豪族とは異なる。天平宝字八年(764)段階において外従五位下に至っている在地系武蔵国人となると、丈部不破麻呂が唯一人と言ってよいであろう。 (p110-111)
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 ここで、丈部直・武蔵宿禰が奉斎したとされる、さいたま市大宮区高鼻町鎮座の延喜式内氷川神社についてみると、天平神護二年(766)、七月に神封(しんぷ)三戸が寄進されるという優遇を受けており、丈部直の急速な浮揚期と時期を同じくし、丈部直と密接した神社であることを示している。
 この神社の祭神は近世以降出雲系の素戔嗚尊・奇稲田姫・大己貴神からなる三神とされているが、中世以前にあっては火神カグツチを祭神とし、氷川神社の最重要祭礼である十二月の大湯祭(だいとうさい)は元来は火剣祭を称し、火渡りをともなう火祭りであった。カグツチは出生時に母神イザナミノミコトを焦殺し、怒った父イザナギノミコトにより斬断されるという異様な伝承の持ち主であるが、火徳に注目すると製鉄や鍛冶の場で不可欠な神霊であり、私は氷川神社が見沼に流れ込む水量豊富な泉流、氷川に由来するにしても、火神を祀る神社として発展し、製鉄・鍛冶に関係する人たちが関与した神社であったとみることができるように思うのである。氷川のヒは茨城県水戸市に近い涸沼(ひぬま)のヒと同じで水量が豊富な事を意味し、氷川神社を出雲大社・杵築大社を勧請したとする所見が依拠とする、氷川を出雲の揖斐川に結び付ける理解は、氷川のヒが甲類なのに対し、揖斐川のヒは乙類なので支持しがたい、といわざるを得ない。(同本のp115)
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これは私の要約(p114)
・氷川神社北東の伊奈にはさながらコンビナートのような大規模な製鉄場が存在した(発掘された)
・原材料は元荒川の豊富な水量と大量の砂鉄
・コンビナートで製鉄がなされたのが八世紀後葉、ちょうど丈部直の急速な浮揚と時期が符合する


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