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[09/08 響由布子]
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響由布子
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女性
趣味:
ペットと遊ぶ
自己紹介:
日記は数ヶ月ごとに整理しています。
適当に削除していますので検索でたどり着いても該当の日記が無い場合があります。
※連絡先はhibikiyuko〒gmail.com(〒を@に直してください)
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ケニアの大統領

■この人興味深いなあと思ったのでリンク保存。
■英語なので私は正確に聞き取れているとは思ってないですが、西側(白人)にLGBTに対する差別をやめないと世界の仲間入りできないわよと言われ「だが断る」「余計なお世話だ」「我々には我々のカルチャー(同性愛を嫌う文化)がある」「嫌ならアフリカに住まなければいい」と突っぱねる動画です。
■彼の名前はウフル・ケニャッタ。彼の親父は初代のケニア大統領で本人は選挙に対する不正やらなにやらで出廷したり辞任したりもしている一方、一部の間で「彼はアフリカ全土を統一する王になるのでは」と言われているらしい。もちろん一部と言っても10人20人という規模じゃないです……。
■彼を見ていると、誇り高いアフリカ人というものが理解できた気がするのです。
■ちなみにアフリカ諸国では同性愛は死刑だったり投獄されたり、です。ケニャッタ大統領は「それが我々の(選んだ)社会(共同体)だ。それが嫌な人は違う国に住めばいい」と言っています。
■別の動画で彼は自分の事を「public servant (公務員、公の下僕という意味合い)」と堂々と明言していて、それも印象に残りました。

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レビュアーhibiki

昨日、星悠輝さんから「響さん、官能小説のレビューやってますか?」と聞かれたのですが、


やってません!

びっくりしました。
にゃらさんによると桜井真琴さんのレビューを書いているhibikiさんとのこと、見に行きました。
うわおΣ(・ω・ノ)ノ!ほんとにあった! 
私はレビュー一切やっていません。
よろしくお願い致します‼‼
ネクラってこういう時、損ですよねw すぐ疑られるよ~トホホ

誠農社@加須

昨日の午前中は加須に行った。
車を出してくれる人がいてこちらを見に行ったのでした→江戸無血開城150年記念展
いやあ、面白かった。
ご一緒したのが勝海舟の会の人と山岡鉄舟の会の人、運転者が田中正造の会の人という事で全員が詳しいのに加えて解説をしてくださった掛け軸の持ち主が非常に詳しいお方で、話が次から次へと飛んでいく無限に広がりそうな時間を過ごしました。

そのあとは官能飲み会へ。気楽で良かった。個人的には初めて小鳥遊さんにゃらさんとお会いした記念の日となりました。

小田原と外郎家

【小田原と外郎(ういろう)家】


(パンフレット転載、読みやすいようにテニヲハ等直しています)


1495年に小田原を平定した北條早雲は、京都の朝廷に仕えていた外郎家五代目・外郎宇野藤右衛門定治を招き、朝廷との外交役としました。


■外郎家は中国で約一千年、日本で六百数十年続いている家で、初代陳延祐(ちんえんゆう)は元に仕えていましたが、元の滅亡と共に日本に帰化し、中国での役職名・礼部員外郎(れいぶいんがいろう)の外郎をとって、役職名と区別するため「外」を「うい」と読ませて「外郎」と名乗りました。医術と占いに優れていたので、将軍・足利義満から京都の招かれましたが、最後まで行かず、博多で生涯を閉じました。


■かわりに二代目・宗奇(そうき)が朝廷に仕えました。延祐の持参した家伝の薬「霊宝丹(れっぽうたん)」は朝廷に珍重され、宗奇は朝廷の命をうけて明にわたり、実家から薬の処方を持ち帰りました。これが薬の「ういろう」です。


■また、宗奇は朝廷で外国使節の接待に供するための菓子を自ら考案しました。これが菓子の「ういろう」です。どちらも外郎家のものであることから「ういろう」と呼ばれました。なお、薬のういろうはのちに天皇から「※透頂香(とうちんこう)」の名をいただきました。


※大切に扱い、丸薬を呑むときは冠の隙間から取り出していただく……この様子を天皇は透頂香と詠んだのでした


■五代目定治は小田原へ来住する際、菓子の製法を弟に残してきましたが、京の外郎家はその後、室町幕府とともに兵火にかかり、世継ぎも無く絶家し、その時仕えていた職人等によって菓子の製法は全国に広まりました。一方、薬の製法は小田原の外郎家が一子相伝で現在も伝えています。


■豊臣秀吉が北条家を滅ぼした時、北条一族家臣は城下に残さない方針でしたが、外郎家だけは特別で残され、以後外郎家は薬を一般に売り出し、医薬の方に専心する事になりました。そして江戸時代には宿老(しゅくろう)として、小田原のために尽くしました。


■享保年間、歌舞伎役者・二代目市川団十郎は持病の咳と痰のため台詞が言えず、舞台に立てずに困っていました。その時、薬のういろうのことを知り、この薬によって全快しました。お礼の気持ちで「こういう薬もある事を知らせたいから」と舞台で上演することを申し出ました。外郎家は宣伝になることを恐れて固辞しましたが、再三の申し出に上演を承知し、こうして市川団十郎の創作による歌舞伎十八番「外郎売(ういろううり)」の台詞が誕生しました。


■明治に入ると、室町時代から貴紳の接待の為に作っていた「菓子のういろう」も市販するようになりました。


■外郎家は朝廷から十六の菊の紋と、五七の桐の紋を与えられていましたので、五代目定治が小田原に八ツ棟造りの建物を建てた時、天皇より祝いの言葉を賜りました。このため八ツ棟は壊れると建て直すのが代々の遺言となり、その回数から小田原地震の回数が察せられます。


 ■こうして北条早雲の時代から五百年、外郎家は今も小田原でその伝統を守り続けています。明治十八年築の蔵を利用した博物館にて、外郎家にまつわる品々を展示しております。


※転載終わり。他人と一緒の行動だったので博物館は見学できなかった。残念!


 追記:初代外郎さんは現在でいうところの浙江省出身で元の順宗皇帝に仕えていたそうです。


日刊ゲンダイもうすぐ終わる……

■いやはや精神的にしんどかった……
■売れないしょぼい作家がなんだか偉そうに書くのって疲れますが、一行も書いた事のない全くのド素人さん向けなので「これでいいのだ!」と自分を鼓舞しつつ頑張りました。
■内容については担当編集者と詳細を合議の上、やってます。こういうやり方も初めてでした。
■中級以上の人には「なんだかなあ。言いすぎじゃない?」と思う内容かもしれませんが。とにかく「自分にも書けるかな?」あるいは「書いてみたいな」と思わせる話にしたいと……論理的な展開になっているのはそのためです。会社員にはその方が馴染み深いだろうと思います。
■もちろん私の書いた事がすべて正解ではないです。文字数の関係で殆どすべて断定形式となっておりますが、取捨選択は自分自身で行ってください……と書かないと鵜呑み(もしくは全否定)しちゃうようなお方はそもそも作家に向いてないと思うのであえて割愛してます。よろしくお願い致します。m(_ _)m ⇐気苦労


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