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[08/12 響由布子]
[08/12 しょっぱめの猫]
[06/29 響由布子]
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[06/29 響由布子]
プロフィール
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響由布子
性別:
女性
趣味:
ペットと遊ぶ
自己紹介:
日記は数ヶ月ごとに整理しています。
適当に削除していますので検索でたどり着いても該当の日記が無い場合があります。
※連絡先はhibikiyuko〒gmail.com(〒を@に直してください)
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服部宇之吉

論語に見ゆる限り孔子は儒を以て自ら居らざりき
儒に就きては漢の學者は美稱として解釋したるが本來は餘り麗しき名にはあらざりしものの如し
儒と言へば他人をして尊敬の念を起さしむるよりは寧ろ嘲笑の念を起さしめたるものの如し
即ち儒の字は偸又は懦と通じて用ゐられしものの如く偸は偸安即ち一日の安を偸み意を勞するを忌むの意あり
懦弱の意にして偸と意味相通じ偸懦とも熟せり
周禮に依れば國民敎育(一方には貴族敎育と對し又一方は大學敎育と對す)の三大科目として(一)六德(二)六行(三)六藝あり
敎育の結果たる人材養成の方面より言へば六德と相通じて賢者を養ひ六藝は技術者を養ふ
即ち能者此れなり
而して賢能の民を繫ぐ方面より言へば賢者は之を師といひ能者は之を儒といひ六藝又之を道藝ともいふ
德行の字に歸宿し六藝の發して道の字著はるるを想へば道と德との二たり
師と儒との二たるを知るべし。……服部宇之吉『孔子敎大義』より
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私は儒学というものはイロモノという気持ちがうっすらあったので、この解説には膝を叩いてウケてしまいました。
服部宇之吉は日本人で初めて大陸の科挙の試験で進士になったすごい人らしい。彼は二本松の藩士のせがれで幼少時に母を亡くし、右目も失明という困難の中で勉学に励んだとのこと。
もっと前にもう一人進士になった人がいるのですが試験に受かった証拠がないのだそうです。
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統計資料館

■昨日は新大久保駅からぶらぶら歩いて総務省統計資料館⇒若松河田駅⇒飯田橋駅⇒東京理科大近代博物館⇒神楽坂で二次会場打ち合わせ⇒ここんところ苦楽を共にしたKさんと呑み⇒帰宅でした。充実したぁ~。
■本来なら新大久保⇒神楽坂まで歩いて行ける体力があるのですが、昨日は暑すぎでくじけました。
■画像はfacebookのアルバムに入れました。⇒facebookアルバム「統計資料館」

あちこちで声かけられてる

■日刊ゲンダイすげ~~。あちこちで「読んだよ」と声をかけられてます。
■とてもうれしいですが同時にちょっと恥ずかしいです。大して売れてもない作家が偉そうに講釈するのって殆ど羞恥プレイだと思う……。
■しかし今回の「官能小説講座」は、担当さんとよく話し合って、「官能小説を書いてみたいけれど一行も書いた事がない」人にどうしたら「俺も出来るかな」と書いてもらえるか、そのようなスタンスで試行錯誤してます。
■なので通常の小説講座みたいに、やれプロットだの履歴書だのなんだのってのは出てきません。そんなこと気にしてたら書き出せないもん。
■まず冒頭にエロシーンを持ってきて好きなエロシーンを書いてみる。それから主人公とヒロインの造形をしてみる。それから描写について長く伸ばしてみる。そういう手順で徐々に話を広げて10枚まで伸ばしてみる。そうして描き切ったとき、新たな扉が開くのです。

近況など……

■日刊ゲンダイ連載は全部で10回、毎週末です。土曜日発売の日刊ゲンダイ週末版をどうぞよろしくお願いいたします。
■暑さのせいか、ここ数日で疲れがピークになってしまった。もともとあまりアクティブでないヒキコモリなのに、表に出て討論もして人と会って話を聞いて(←これ全部雑用だったりする)、精神的な疲れがたまってしまいました。
■なんだかのう……健康一番なのに健康じゃないっていうのはいかんです。私なんて元気だけが取り柄なんだしねえ。しょぼくれもせいぜい数日ってところにしたい。

伊豆の長八

■伊豆の長八(入江長八)は江戸末期~明治の漆喰の工芸作家さんで、鏝(コテ)を使って立体的な絵を作り上げた。
■この人について興味深かったのはあきらめが良かった事。もともと絵師になりたくて狩野派の師匠についたものの、数年で絵に見切りをつけ、漆喰職人として頑張り始める。そこに惹かれた。足るを知るっていうか……。偉いです。
■あと、漆喰って「角又」という海藻が原材料なんですね。海藻+麻+消石灰。「角又」という海藻はあちこちで見かけます。
角又はこちら→角又とは
■長八の生まれた松崎町は養蚕が盛んだったそうです。町全体が比較的裕福だったので左官業も大忙しでした。
■なぜ町が裕福だったかというと、松崎町は日本で一番最初に繭の市が立つ場所だったからです。養蚕が盛んだったころは「松崎町の繭の値段が日本全体の繭(絹)の値段を決める」とまで言われていたそうです。(しずおかの文化新書11の5頁)
■画像の道具類はほとんどが手作りだそうです。和釘を叩いてつぶして作ったりしたそうです。


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