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[09/16 響由布子]
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[09/16 しょっぱめの猫]
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[09/06 響由布子]
プロフィール
HN:
響由布子
性別:
女性
趣味:
ペットと遊ぶ
自己紹介:
日記は数ヶ月ごとに整理しています。
適当に削除していますので検索でたどり着いても該当の日記が無い場合があります。
※連絡先はhibikiyuko〒gmail.com(〒を@に直してください)
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身体から虫を取る夢

■おととい妙な夢を見た。腕や腹の皮膚に直系5ミリくらいの黒い孔が開いてしまって、よく見ると中で何かが動いている。ピンセットでつまんで引っ張ってみたら5センチくらいのミミズみたいなのがずるずる~~っと出てきた。
■(うええ~~これ体のあちこちに開いた孔の分を全部取るの?)とうんざりした。
■起きてすっかり忘れていたのが、急に思いついた。あれはひょっとして「三尸(さんし)」じゃなかろうか!?
■三尸とは、人間の体内にいると考えられていた虫で道教の伝承である。60日に一度めぐってくる庚申の日の夜、三尸の飼い主が寝てしまうと、三尸が体から抜け出して世界をつかさどる天帝にその飼い主の罪悪を告げてしまう。そうするとその人の寿命が縮まったり病気になったりするらしい。
■道教では、三尸は人間に欲望を起こさせたり寿命を縮めさせるところから、仙人となる上で体内から排除すべき存在として知られているらしい。けしからん蟲だ!
■その虫を自分で取ったという事は、天帝に悪口を言いつけられずに済んだという事で、ちょっと寿命が延びるのかもしれない。
■気持ち悪い夢だったがこれも吉夢と思う事にします。
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万物は流転する


■「万物は流転する」と言ったのはヘラクレイトス。これは哲学の概念ですが、この言葉が面白いのは、「万物は流転する」という言葉はその言葉が正しい限りは絶対であり不変であるわけなのです。「万物は流転する」と言った途端に流転しない不変の概念が生まれちゃったわけですね。


■じゃあこの「万物は流転する」という考えは「万物」の中に入らないのかな? ←答えは入らない、何故なら万物を総括する言葉なので。「万物」という世の中のありとあらゆるモノコトの上にさらに概念があると。


■こういうのを「メタ」と言うのかなと私は感じました。


■数年前の私は考える事が苦手で一言からあれこれ思考を広げるなんていう事もあまりしなかったように思います。今は割と順々に積み重ねて考えるようになりました。何故そうなったかというと……。


■たぶん「聖書」を読み込んだせいだと思います。聖書は、何度となく「絶対」というものを分からせようとこちらの価値観を破壊してきます。揺さぶります。迷わせます。そのたびに聖書は「我に従え。なぜなら我が絶対(正)だからだ」と言ってくるのです。「お前の迷いは無価値だ。羊のように我に従え。疑るな」ときます。


■つまり読み手に「絶対」というものの存在を叩きこむのが聖書の役割なのです。その「絶対」は超越的な存在でありそれは神であり概念なのだと思います。「聖書」は非科学的なようで科学的と言われるのはたぶんこの「概念」という目に見えないものを分からせる事に熱意を傾けているからではないかと。


■聖書の解釈で良く間違うのは、神を擬人化してしまう事なのですが、神は人ではない。そこを呑み込めてからは、モノの見方が変わりました。


■真面目な私が一層真面目になったような気がしました。なんちって~


たちまち小僧英語版

まだ時代官能を気合で書いていた頃の作品ですが、やっと英訳版が出ました。
kindle unlimited ですので良かったらお読みください。
翻訳作業のSeiichirou Koizumiさん、英語校正のChing Li Torさん、お疲れ様でした!

たちまち小僧 英訳版

近況

■この秋出版予定(たぶん)の官能長編、半分まで出来上がりました。今回もとても時間が掛かっています。〆切を伸ばしに伸ばしてもらってしまいました。
■ひょっとしてスランプでしょうかね。この壁を乗り越えないと次が無いので頑張りたいのですが。
■次の新刊は医療関係の話です。お楽しみに。内容は、医者嫌い(わたし)が医院での診療の話を書くとこんな風になるのかぁ~というようなお話です。「医者なんか絶対行かねえや!」という貴方にこそ読んでいただきたいです。
■スランプの人が書いた話なんてつまらないんじゃないの? って? いやそれは無いです。時間が異様にかかっているだけで内容はエロ面白いです。emoji
■価格は前回と大して変わらないので、お小遣いから文庫代を取って置いて下さいまし。よろしくお願い致します!

21世紀に儒教を問う

記録(保存)用にこちらにも投稿。

21世紀に儒教を問う(早稲田大学孔子学院叢書)

この本面白そう。儒教はぼちぼち勉強しているんですが、何度聞いても「儒教は宗教じゃなくて善く生きるための方法論、手順」ってのがピンと来てないのですが、こちらのレビューにもその事が触れてありました。
リンク先レビューの気になる部分を転載しておきます。「宗教」という言葉にとらわれ過ぎている自分を再発見したような気がしないでもないです。この本に興味ある方は是非!

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・(儒教は)超越して外在する世界を持たないのである。…活き活きと生きる具体的な人を省察の起点とする、これが儒家の最も基本的な信念である。(70頁)

・(宗教学者ウィルフレッド・キャントウェル・スミスによれば)religionという名詞そのものが学術界に極めて大きな偏見をつくりだし、多くの不健全な結果をもたらしており、この言葉を取り除くべきで、名詞としての宗教(religion)は多くの困難を生み出しているので形容詞(religiousu)だけを用いるべきだ、と主張している。なぜならばreligionの出現は17世紀で、それはキリスト教文化を中心として発展してきた一つの観点だからである。比較文化学から言えば、キリスト教徒はキリスト教以外のあらゆる宗教はすべてism(主義)で本当の意味での宗教ではなく、真正な意味での宗教はキリスト教であると考えてきた。(126頁)
---以上、若村さき氏のアマゾンレビューより転載---


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