今日はMちゃんと一緒に上野西洋美術館の「ゴヤ」展を見に行った。初日という事でめちゃ混みかなと心配したが、大雨注意報が出ていたせいかかなり空いていた。快適快適。
ゴヤ展の注目は「着衣のマハ」だった。「マハ」とは人名ではなく「マドリードにいる小粋な娘」という意味合いの言葉らしい。現代日本で言うところの「シロガネーゼ」みたいなものだ。
むしろ私はたくさんの線画(素描)が面白かった。ゴヤの底意地の悪さや決めつけっぷりや悪趣味が良く出ていて面白い。
ゴヤの絵を見ていてしみじみ反省した。私は「神は細部に宿る」という事について1通りの解釈だけで考えていたかもしれない。素人なので変な見方かもしれないけど、ダリ的な細部の作り込み方とゴヤ的な細部の作り込み方があるのだと思う。
ダリは「女は女神」と言うかもしれない。女神にはいいのも悪いのもいるというわけだ。それが彼のリアリズムなのだと思う。一方ゴヤは「女はビッチ」と言うかもしれない。彼の言うビッチは本当にビッチでしかない。大多数の人間が「ビッチ」と聞いて思い浮かべる像だ。大衆に支えられた姿を鮮やかに映すのが彼の仕事なのだ。
そうやってダリもゴヤも対象を観察して、自分の視点で細部を作りこんだ絵にする。私は「神は細部に宿る」と言う時ダリ的な細部しか考えていなかった。つまり多角的な細部だ。ゴヤは違う。多数決で記号化されたものの細部だ。多分ダリよりゴヤの方がより一層娯楽小説的……。
そんな事などをぐじゃぐじゃと感じた展覧会だった。
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どや…