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響由布子
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日記は数ヶ月ごとに整理しています。
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※連絡先はhibikiyuko〒gmail.com(〒を@に直してください)
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三島由紀夫「生きる意味を問う」

ここの「誰でも男の子なら」からのところが好き。この本は残しておこうかな。

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facebookにて

■いま、終活に向けて蔵書の整理をしているのですが(確実に死ぬという予定はないですが、そろそろ終活したいという欲求が自分のプライオリティの1番になってしまい、今のところそれを否定できない状態なんですサーセン)、facebookにて、友人限定ですが本の画像を公開してます。
■facebookのいいところは、翌年まで生き延びると、「過去の今日」というかたちで過去投稿を見せてくれるところなのです。私としては思い出のリマインダーとして活用してます。なので思い出に残したい本は画像アップしてます。
■たまに「欲しい!」という人もいるので譲ったりしてます。それも楽しいです。
■片付けてみたら、案外、三島由紀夫と遠藤周作が多かった。
■ここを読んでおられる方は、殆どがすでにfacebookでの繋がりがある人だと思うのですが、もし万一FBF以外で、私の友達限定投稿が見たい人がいたら、友達申請を下さい。ただしメッセンジャーにて「ブログ見ました」とかなんとか一言添えて下さいね。ではでは。

河豚が来た

びっくり!Σ(・ω・ノ)ノ!
今日、フグの刺身と鍋セット(皮湯引きやフグひれ入り)が届いた。
嬉しかった~~フグなんて人生二回目くらいですわ~~。
慰霊の盆踊りを真剣に踊って良かった~~~。

パンフレットを見てみたら、通販でも注文できるみたい。
多分、ひょっとしたら、地元のお付き合いとかもあるのかなと思うので
私の方でも宣伝しておきましょう!

ここのセットは中身が至れり尽くせりですごいです! 
自分で食べて良し送って良し! おすすめ!

【直販】山口ふぐ本舗きらく

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越谷吾山の本

『越谷吾山 方言に憑かれた男』 杉本つとむ(さきたま出版会)より


●まえがき


 吾山の『物類称呼』は江戸期最大最高の全国方言辞典であることはいうまでもありませんが、二十世紀、敗戦前まで、一人の手になるこうした全国的規模の方言辞典は存在しませんでした。まことに稀有にして絶賛すべき一大労作です。しかし多くの日本人からはほとんど忘れ去られ、わずかにこの方面の専門学者によって、その功業が受け止められ、発展させられているにすぎません。おそらく越谷市民でも、埼玉県民にあっても、――〈渋沢栄一〉は三歳の童児といえども耳にしているでしょうが――ほとんどの人は越谷吾山の名も存在もしらないことでしょう。


 現代では日本民俗学の祖と仰がれる柳田国男への影響もあり、〈顕彰碑寄付金人名簿〉でも判明するように、故東大教授、橋本進吉をはじめ東条操、志田素琴(義秀)など言語学、国語学、方言学、俳諧研究家が、吾山の業績に賛辞をおくっているのです。


わたくしは、先に吾山の著書『物類称呼』(八坂書房・生活の古典双書)を翻刻し、総索引を付して出版しました。(中略)しかしこれまで吾山のことについて志田素琴氏の小冊子以外にまとまった略伝や著書の考察はありません。同書は約百ページの小本で、昭和九年、越谷吾山翁記念事業会(代表、会田利次郎)で、非売品として、百五十回忌法会を記念して発行したものです。その点、今回はできるかぎり資料をあさり、かつは吾山の生きた時代、江戸文壇と俳諧など、いわば吾山の活躍した舞台を描写しつつ、吾山が研究しまとめた、全国方言・民俗への考察の成果を検討しました。あらためて、方言学者、民俗学者としての吾山の人物像を示すことにしたわけです。


吾山の研究は当時、十八世紀のヨーロッパの方言研究と比較しても、決して劣ることのない大きな仕事であったといえます。一埼玉県民の文化的財産としてだけではなく、ひろく、日本人のことばや民俗の原点をさぐる記念碑とすべき業績として、かつは吾山没後二百二年を記念する鎮魂の譜として、〈越谷吾山〉を世におくることとしました。大方の御愛読と御叱正を切にお願いしておきます。


末筆ですが、早稲田大学図書館、東京大学図書館、県立富山図書館に厚く御礼申し上げます。


 一九八九年六月四日


    中国・北京にて    著者 識 



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この本途中から難しくてギブアップした。
万葉集の中にも方言がたくさんあった、という事を知った。
たぶんあと20年くらいでこの本も吾山も記録が消えちゃうような気がして、思わず抜き書き・書き留めました。

1秒って誰が決めるの?

最初の方だけ抜き書きしましたがこの本面白いです。

【1秒って誰が決めてるの?】安田正美(ちくまプリマ―新書)
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・1秒の定義は時代とともに変化している。
・時間の計測、昔は天文学だったが今は物理学の範囲
・そもそも人間の感覚器には時間に関係するものは存在しない。時間については時計しかはかるものがない
・人類最初の時計は「暦」
・「太陽」と「月」二つの天体の動きを重ね合わせる事で暦を作った
・これは最小公倍数の考え方であり、素数の考え方ともいえる。
・暦の誕生=数学の芽生えともいえる
・紀元前の日時計、水時計、砂時計で時間をざっくりはかるようになるが本当にざっくり
・12世紀に機械時計が出来てから状況が変わった
・12世紀に作られた時計は長いひもの先に重りをつけて高い塔のてっぺんに重りを上げ、自身の重みで少しずつおりていく、それを動力とした。
・村で一番高い塔は教会の鐘つき塔なのでそこに時計の装置が置かれるようになる。
・教会の鐘の事をラテン語で「クロッカ」という。これがクロックの語源。
・しかし当時の塔時計には針が1つしかなかった。(〇時くらいしかはかれなかった)
・日本の江戸期の大名時計も似たようなもので、塔時計と同じシステム(冠歯車脱進機)なので1日に1時間くらいの狂いがあったりした。
・一分とか一秒という概念が無かった(はかれなかったので)
・西洋では、ガリレオが「振り子の等時性」の法則を発見した事で、時間を正確に計る仕組みが出来上がり、1時間を分割してみようという考えが出てきた。
・この頃から時計の針が二つになる。
・分を意味すぐminuteは「小さい」という意味。
・分がきちんと測定できるようになると今度はさらに分を分割しようという欲が出てきた。
・分をさらに60に分けたのがsecond minute(二番目の小さいモノ)。時代がたつとsecond minuteはsecondと呼ばれるようになる。
・1時間はなぜ60分なのか。10進法や12進法は採用しなかったのか?
・古代ではモノを分ける時、目で見て「半分」とか「三分の一」とか手で分けていた。多くの数字の倍数にあたり割り易かった60は、桁計算をしない人たちには使い勝手のいい数字だったのではないか。
・西洋では今でも二分の一インチとか四分の一マイルとかいう表現を使うが、もともとそういう感覚になじんでいたのだろう。
・十進法「メートル法」の発祥地であるフランスでは、フランス革命後の1793年に「フランス革命暦(共和暦)」を作って十進法に挑戦したことがある。1週間=10日、1日=10時間、1時間=100分、1分=100秒で暦を作った。
・結局根付かなく、時間は60進法に戻る。
※「へ~~」の連続なのでメモりました。(具合悪いんだから大人しく寝てろって話ですね)
https://www.amazon.co.jp/dp/4480689184


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