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[04/18 響由布子]
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響由布子
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女性
趣味:
ペットと遊ぶ
自己紹介:
日記は数ヶ月ごとに整理しています。
適当に削除していますので検索でたどり着いても該当の日記が無い場合があります。
※連絡先はhibikiyuko〒gmail.com(〒を@に直してください)
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良いお年を!

■皆様一年間ありがとうございました! 良いお年をお迎えください!
■画像はうちの亀吉君です。身体の下に敷いているのはiPad miniです。ちょいと油断していたら、同じ位の大きさになっちゃってました。道理で最近重いわけだ……( ;∀;)
■体重はネコが5.4キロ、亀が6.9キロです。亀の方が重いなんて!?
■来年にはA4紙くらいの大きさになってたりして……。
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ハオルシア・オブツーサ

ハオルシア・オブツーサ。別名を「雫石」という多肉植物です。
葉の先端が透明になっている事から「雫(がついた)石(みたいに丸っこい葉)」という事かと。
この植物は50年くらい上手に育てると一鉢数百万になるそうで、いまから頑張ってますemoji
分かるでしょうか。真ん中に2つ蕾が出てます。昨年も咲いたのですが、ひょろ~~~っとして頼りな~~い儚げなお花です。


こちらは一般的な「雫石」。膨らんだ葉先の透明な部分から光を取り込んで光合成をするらしいです。半日蔭で乾かし気味に育てるのだそうです。


信長のデスマスク


■昨日書いた「信長のデスマスク」についてもうちょっと調べた事など……。トンデモであろうがなかろうが、気になったら調べるというのが大事な事かと思います(すぐ忘れるけど書き留めておけば大丈夫だ!)


1)もっとも古いデスマスク(その技術は)いつ?


2)デスマスクを作ったと言われる信長の近習・弥助(日本初の黒人侍・元はイエズス会ヴァリアーノの奴隷だった)が当時デスマスクを作る技術を知っていた可能性は?


3)斬首のあとの信長の顔が穏やか⇒だから偽物だという指摘はOK?


4)デスマスクの材料はナニ?


■と思って調べたのですが、結論から言うと


1)自分が確認できた最古のデスマスク(粘土で型を取ったデスマスク)は「神曲」作者のダンテ(1320年死亡)のデスマスク


2)知りえた可能性アリ。技術はすでにあった。ローマン・カトリックのマルチン・ルター(1546年死亡)のデスマスクがある。無名の人のデスマスクはもっとあるらしい。


3)斬首の後でもデスマスクの顔つきは穏やかという実例があった! メアリ女王です。


4)信長デスマスクの持ち主によると、材料は五斗薪粘土。今ある信長のデスマスクは焼いてない状態で柔らかいらしい。「五斗薪粘土」とは五斗薪地方(土岐)で良く取れることから付いた名前。あら、土岐と言えば明智じゃないですか。偶然かな。持ち主はどうして「五斗薪粘土」と言い切っているのだろうか。


2)、3)についてですが、画像を見てみて下さい。この画像はイングランドで斬首刑になったメアリ女王(カクテル「血まみれマリー」の名前の元)のデスマスクです。恐怖や苦悶、絶望の表情などは無い=デスマスクを出来るだけ生前の普通の表情に似せるような修正・作法などが当時あったかもしれない。
【追記】このデスマスク、後世の偽ものという噂があるらしい…… orz


※ちなみにパブなどで男が女に使う下品なジョークに「Are You Mary Now?(あなたは今メアリーですか)」というのがあって、それはMaryBloody(血まみれ)⇒生理中? なんだそうです。くっだらねぇ~~。


『信長公阿弥陀寺由緒之記録』

恥ずかしながら織田信長のデスマスクって初めて知ったんですが完璧トンデモでいいのか一応0.000001%くらいは信憑性あるのかわからないです。

と自分でfacebook投稿してから調べた事をここに保管。
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『信長公阿弥陀寺由緒之記録』より
 時に天正十年六月二日、明智光秀謀反の時、清玉上人は信長公の旅館本能寺に押寄せるをきき、塔頭の僧徒廿人余りを召し連れ本能寺に駆けつけられ、表門は厳重に軍兵四方を囲み寺内に入る事出来ず、裏道より辛うじて入るが堂宇に火が放たれ、すでに信長公が割腹せられしと聞き、そばの竹林に十人余の武士集まりて火を焚く者あり、上人がこれをみるに信長の家臣なり、之に顛末を聞くに信長公割腹の時必ず死骸を敵に渡すことなかれと遺言あり、しかし四方敵兵にて死骸を抱きて遁れ去る道なし、やむなく火葬し
て隠しおいて各々自殺せんと一同答えたり、上人信長公とは格別の由縁あるを以て火葬は勿論将来の御追悼をもなさんとて武士に乞い、各々自殺するよりむしろ信長公の為に敵にあたりて死せんことを望むと語りければ、武士ら大いに喜び門前の敵を向うすきに上人火葬し白骨を法衣につつみ本能寺の僧徒らが逃げるのにまぎれこんで苦もなく帰寺し白骨を深く土中に隠しおきたる。

※この後の記録には、遺品も少しあったのだが火事で燃えてしまったとか、秀吉に頼まれたが断っていたら干されたとか、戦国武将が毎年お参りに来てたが改易になっちゃったとか、信憑性に関わるマイナス事項がちょろちょろある。
※でも信長の1つ目の法名「天徳院」を付けたのはここのお上人さんだし、大正時代に勅使が来て信長の墓所として認定されたようだし……。
※「阿弥陀寺」と秀吉の墓所が最初置かれた「阿弥陀が峯」と関係あるのかな。距離が近いとは思うんだ。秀吉の墓所の移転前は、信長の眠る(と言われる)阿弥陀寺を見下ろす感じの位置関係だったのでは。

【追記】12.26.2017
※阿弥陀寺はもとは違う場所にあったらしい。確認もしましたが、言及できない。私は京都の地形に疎いので興味ある方は各自調べてみてください。
※阿弥陀寺の信長忌では信長公が使ったと言われる槍の先(刃の部分)と信長愛用の皮の手袋が披露されているそうです。
※こちらの寺から遺歯を貰って近江八幡の西光寺が信長の墓所を建てたそうです。
※富士のふもとの本門寺に信長の首塚があるとのことですが、もしかしたら阿弥陀寺から何かを分骨されて埋めたのかもしれませんですね(記録が紛失しちゃっただけかも)
※検索で来て興味ある人はコメントよろしくお願い致します。

該当の古文書(の写し)↓↓↓


国立国会図書館デジタルコレクションに飛びます

Σ(^◇^;)

■昨日は文筆女子の忘年会があって新宿三丁目「どん底」に行ってきたんです。
■店内は暗く、トイレは男女別ながら1つずつしかなく、尿意をもよおしたワタクシは並ばざるを得なかったんです私の前に先客が2名いて。
■しばらくして私の後ろに20代酔っ払い女子が並びました。
■店内薄暗かったせいがあると思うんですが彼女がいきなり話しかけてきました。
「そっちも忘年会?」
(Σ(・ω・ノ)ノ!いきなりタメ口かい)
「う、うん。女友達とね」
「あたしも忘年会なんだけどぉ、すげーやんなっちゃう。30過ぎのババアが意地悪するんだよね。あたしの事無視してさあ。軽く見てるんだよ。お局って何でみんなああなるのかな」
(えっ、同意求めてんの? Σ(・ω・ノ)ノ!)
「ほんとだよねー。意地悪ババアってさいて―だよ。場ぁ見ろっての」
「ねー」

■というわけでどう考えても彼女は私を同年代と間違えたのであると!
■声を大にして言いたいわけなのです!!
■という話を旦那にしたところ!!!
■「とにかくおちつけ」との事で!!!!
■たった今やっとハイテンションから落ち着きました!!!!!

【追記】
という話をfacebookに出したら色々な人から色々なツッコミがあったわけなのですが、ここはひとつ素直に喜んでおきます~~。素直が一番!


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