私自身はいわゆる「厨房」であり「社会不適合」だと思う。
しかしその私でさえ、うんざりすることが最近多い。
私は私と同程度の「社会不適合」か、私を受け入る余裕がある人と付き合った方が幸せで、私以下の「社会不適合」とは付き合いたくない。
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「荒らし」や「ネットストーカー」の手口というのは、やる気になれば誰でもができることである。
今の時代、そうコストがかかるという訳でもなかろう。
では何故、ほとんど全ての人たちがやらないかというと、そこに些細だけれども底の深い、ある種断層があるのではなかろうか。
kurosaki-yowa.seesaa.net/article/41739101.html
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ここのblogはなかなか興味深くて、時々見ている。
K崎氏が訴えていることは、実は非常に普遍的かつ常識的なことなので、事件そのものを知らなくても彼の主旨は読み取ることが出来ると思う。と思っていた。
ところが読み取ることが出来ない人が意外といるというそのことに、私は衝撃を受けた。
リンク先のblogにはトラックバックを打たないでおく。出来れば検索にもひっかかりたくない。
なぜならリンク先blogは、読み取ることの出来ない何人かが、憎悪の目を持ってウォッチしているからだ。
私のように遠巻きにしてガクブルしながら固唾を飲んでいる人間は案外多いのではなかろうか。
多いと思いたい。
じゃないと社会が成り立たない。
最近可愛がっている若い子が、以前にこんなことを言っていた。
「精神病のフリして障害者手帳もらうと国から生活費が出るから、一生食うのに困らないんだって。羨ましいよね。僕もしたいな」
その話が出るたびに私は不快感をあらわにして喧嘩腰になっていた。
たとえ冗談まじりであっても、話が出ること自体が不快だった。
それが出来る人と出来ない人、羨ましいと思う人と思わない人、断層があるように私も思っている。
しかし以前より最近の方が、断層による棲み分けがあいまいになって、混沌となってきているように思う。(特にネット)
だからこちらの警戒センサーが作動せず、意外なところで意外な目にあったりする。
逆に自然体の自分が他人に多大なストレスを与えてしまっていることに気付く場合もある。
そういうハプニングを「面白い」「人生の妙味」と思える年齢はとうに過ぎてしまった。
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