■たまに通っていた道沿いに、「タムロン」「八木アンテナ」という大きな会社(工場付き)がありました。大宮のド田舎に県道2号(旧国道沿い16号)を挟んで向かい合わせに工場があるなんて、と思っていたのですが、この二つの工場は「軍需」で繋がっていたんですね。2つのうちの八木アンテナの話を書いています。
■リンク先は武蔵野銀行のレポートですが、タムロンの名前は出てきません。しかしさいたま市内には41もの光学レンズ関連の工場があったそうです。ナニガシさんによればタムロンは戦闘機に搭載するレンズを作っていたとか。(未確認です)
https://www.bugin-eri.co.jp/report/report08/file/industory227.pdf
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■さて八木アンテナ。こちらも軍需産業ですが、妙な歴史があります。
■八木アンテナの基本技術は、東北帝国大学で研究をしていた「八木・宇田アンテナ」というもので、元々は宇田新太郎が主任で研究をしていたものを共同名義で論文発表したのです。
■ところが、八木秀次は宇田新太郎に内緒で、論文の新技術を「八木アンテナ」として特許を取ってしまったのです。これにより研究の成果は全て八木秀次が取得してしまいました。海外でもYAGi anntenaとして知られてしまいます。
■その後八木は英語の論文などを出し活躍しました。海外ではYAGI anntenaの技術が注目され、主に軍事利用されました。
■原子爆弾にも八木アンテナの技術が使われています。赤丸の部分です。(画像1)
■ナニガシさんの携帯で「ボディにYAGI」の画像を見せてくれたのですが、帰宅後探しても検索で出てこないのですが、原爆投下機のボディにもYAGIというマークが入っていたそうです。
■そんな八木秀次ですが、文化勲章やら勲一等やらもらって議員になって会社も興して、いい人生を送った様子です。一般的には評判の高い人なのですが……。
■一方新技術を見つけた宇田新太郎の方は、それほどでもなかったかも。八木秀次に比べたら、ですが。
■この話、しつこく掘れば何かもっと出てきそうな予感……。
一応アマチュア無線技士の免許を持っているので、八木アンテナの話に反応しました。
無線アンテナは電波の指向性が重要でして、指向性が強いほど性能は上がっていきます。送信電波は遠距離まで届き、受信感度は向上するというわけです。
八木アンテナは指向性がとても強力です。
ただし指向性が強いということは、一定方向以外の電波空間に対しては弱いという欠点があります。
したがってアマチュア無線家は、八木アンテナの根本にローテーターと呼ばれるモーターを据え付けて、任意の方角へ遠隔操作でぐるぐる回す必要がありました。
八木アンテナは総じて高価であり、またローテーターも結構な値段だったため、当時中高生だった自分には高嶺の花でした。