論語に見ゆる限り孔子は儒を以て自ら居らざりき
儒に就きては漢の學者は美稱として解釋したるが本來は餘り麗しき名にはあらざりしものの如し
儒と言へば他人をして尊敬の念を起さしむるよりは寧ろ嘲笑の念を起さしめたるものの如し
即ち儒の字は偸又は懦と通じて用ゐられしものの如く偸は偸安即ち一日の安を偸み意を勞するを忌むの意あり
懦弱の意にして偸と意味相通じ偸懦とも熟せり
周禮に依れば國民敎育(一方には貴族敎育と對し又一方は大學敎育と對す)の三大科目として(一)六德(二)六行(三)六藝あり
敎育の結果たる人材養成の方面より言へば六德と相通じて賢者を養ひ六藝は技術者を養ふ
即ち能者此れなり
而して賢能の民を繫ぐ方面より言へば賢者は之を師といひ能者は之を儒といひ六藝又之を道藝ともいふ
德行の字に歸宿し六藝の發して道の字著はるるを想へば道と德との二たり
師と儒との二たるを知るべし。……服部宇之吉『孔子敎大義』より
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私は儒学というものはイロモノという気持ちがうっすらあったので、この解説には膝を叩いてウケてしまいました。
服部宇之吉は日本人で初めて大陸の科挙の試験で進士になったすごい人らしい。彼は二本松の藩士のせがれで幼少時に母を亡くし、右目も失明という困難の中で勉学に励んだとのこと。
もっと前にもう一人進士になった人がいるのですが試験に受かった証拠がないのだそうです。
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