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響由布子
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※連絡先はhibikiyuko〒gmail.com(〒を@に直してください)
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『信長と弥助』より転載

『信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍』から転載
 ロックリー・トーマス著 不二淑子 著


"二十世紀前半に日本が強国となり、その国際的影響力が非白人国の中で突出したとき、日本国内で非ヨーロッパ世界と再びつながろうとする動きが起こり白人帝国主義の犠牲者である黒人に対しても親しみを持つようになった[1]。第一次世界大戦前に〈脱亜入欧〉というスローガンを掲げていた時期の反動とも言える流れだった。第二次世界大戦直前の日本は、当時の西欧社会がけっして日本人を同等とは見なさないことを認識し、考えを改めたのだった。この新しい波が起こった結果、弥助の逸話のように半分忘れ去られていた話の多くにスポットが当てられ、非ヨーロッパ世界との国際協調を促すために利用された[2]。"

"ここで忘れてはならないのは、日本が第二次世界大戦に参戦した大義名分は──最終的にどういう結果になったにせよ、また戦後に歴史がどう捉えたにせよ──、ヨーロッパ列強の植民地支配からの脱却だったという点だ。二十世紀初頭には世界中の何百万もの人々がこのメッセージを信じ、日本の方策を支持するにせよしないにせよ、そこから何かを感じ取っていた。その中には、ガンジー、中国最後の皇帝溥儀、孫文、スカルノ、アウンサン[ビルマの独立運動家。アウン・サン・スー・チー氏の父親]といった著名人や、それほど有名ではないアジアやアフリカの独立運動の指導者たちもいた。今日ではほとんど忘れられているが、日本軍には日本国内の日本人だけでなく、台湾と朝鮮の植民地部隊(2)や中国と満州の志願兵、遠く離れたインドの反植民地主義者の同盟軍(3)も含まれていた。また、二十世紀初頭には、欧米列強による統治と支配を終わらせてアジア人のためのアジアを築くという汎アジアの夢の名のもとに、中国やフィリピンで起こった独立運動に参加して死ぬまで戦った日本人志願兵もいた。"

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