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響由布子
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女性
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ペットと遊ぶ
自己紹介:
日記は数ヶ月ごとに整理しています。
適当に削除していますので検索でたどり着いても該当の日記が無い場合があります。
※連絡先はhibikiyuko〒gmail.com(〒を@に直してください)
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「血盆経」2

【大宮郷土史研究会地蔵盆見学会】5
【血盆経】2
■「血盆経(けつぼんきょう)」が成立したのは10世紀の中国大陸で、そこから朝鮮半島を通って日本に伝来したようだ。
■朝鮮半島では「血盆経」はあまり受け入れられなかったらしく痕跡が殆ど残っていない。
■琉球と南西諸島は女性の地位が高く、それが理由で「血盆経」は浸透しなかったのではないだろうか?(推測)
■日本本土の場合は女性の参政権がつい最近まで無かった事などを考えても女性の扱いはぞんざいだった=血盆経が受け入れられたのでは(推測)
■一体いつどこから女性の経血が不浄なもの扱いされ始めたのだろうか。というのは研究テーマの一つとなりうる。
■沖縄以西の南西諸島では、夫や恋人が危険な漁に出かける時、女性側は経血で染めた布をお守り代わりに持たせる風習があった。女性特有の血は新しい命が誕生する証であり魔よけのパワーを秘めたものでもあったのだ。
■そもそも沖縄方面では政(まつりごと)は男の王、祭事(まつりごと)は女の王がつとめていて男女で一対だった。そのくらい女性の地位が高かった。(そういえば日本にもかつて卑弥呼がいたっけなあ…と私は思った)
■各国での女性の扱いについてはアフリカから人類が歩いて広がって行った道のり通りに神話を読み解いて行くのが一番面白いよという講師のお方のご意見でした。出来たらそのうちやります。
■神話の話で出たのですが、太陽神が男か女かより、太陽神が人間にとって善か悪かの方が重要なのだそうです。アフリカ方面では太陽神は、あばれ過ぎると人類に死をもたらすので良い神では無かったりするのだそうです。




■神、女性、まじない、伝播の道のりなどを専門に勉強する研究会があるんだよと講師のお方から教えてもらいました。
■たぶんこれ⇒ 「東シナ海周辺の女性祭祀と女神信仰」研究会。帰宅後検索して出て来た。
■今回の講師の女性は普通の郷土史大好きな家庭的な雰囲気の女性ですが、色々な事を良く知っててすごい! 大学で考古学をやっていたそうです。
■昼食のそばをすすりながら講師と話をしていてふと思い立ったのが修験道でした。
■修験道こそ、100%母体回帰であり女の生殖を感じる宗教なのです(と私は感じてます)
■その事を話してみると「そうだよ~~♡」と。修験道と血盆経は確かに繋がりがあるそうです。女性に生まれた原罪は、血盆経を写経しそれを折りたたんで地獄の血の池に見立てた山中の池や沼に放り込み祈るのだそうですが、その池は、立山や熊野など修験道の霊場にあるんだそうです。
■そもそも血の池地獄という考えを広めるのに尽力したのは熊野比丘尼と呼ばれる熊野から来た尼さんでした。彼女たちは熊野の信頼を得て、地獄絵図を持ち歩いて布教して回ったんだそうです。
■ちなみに熊野の神様自身は経血を穢れとは思っていないそうです。「和泉式部日記」のワンシーンにでてくるそうです。
■ところで帰宅後 「東シナ海周辺の女性祭祀と女神信仰」研究会を調べてみたら、やっぱり研究会長は修験道学会の現会長でした。ビンゴだ~~。
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