■「万物は流転する」と言ったのはヘラクレイトス。これは哲学の概念ですが、この言葉が面白いのは、「万物は流転する」という言葉はその言葉が正しい限りは絶対であり不変であるわけなのです。「万物は流転する」と言った途端に流転しない不変の概念が生まれちゃったわけですね。
■じゃあこの「万物は流転する」という考えは「万物」の中に入らないのかな? ←答えは入らない、何故なら万物を総括する言葉なので。「万物」という世の中のありとあらゆるモノコトの上にさらに概念があると。
■こういうのを「メタ」と言うのかなと私は感じました。
■数年前の私は考える事が苦手で一言からあれこれ思考を広げるなんていう事もあまりしなかったように思います。今は割と順々に積み重ねて考えるようになりました。何故そうなったかというと……。
■たぶん「聖書」を読み込んだせいだと思います。聖書は、何度となく「絶対」というものを分からせようとこちらの価値観を破壊してきます。揺さぶります。迷わせます。そのたびに聖書は「我に従え。なぜなら我が絶対(正)だからだ」と言ってくるのです。「お前の迷いは無価値だ。羊のように我に従え。疑るな」ときます。
■つまり読み手に「絶対」というものの存在を叩きこむのが聖書の役割なのです。その「絶対」は超越的な存在でありそれは神であり概念なのだと思います。「聖書」は非科学的なようで科学的と言われるのはたぶんこの「概念」という目に見えないものを分からせる事に熱意を傾けているからではないかと。
■聖書の解釈で良く間違うのは、神を擬人化してしまう事なのですが、神は人ではない。そこを呑み込めてからは、モノの見方が変わりました。
■真面目な私が一層真面目になったような気がしました。なんちって~