先日の山岳信仰の講演を聞いて思ったことなどをてきとーに書き散らしておきます。
私の家は父方が山岳の集落出身なのですが、イエは山伏ではありません。木こり&猟師と聞いてます。
でも山岳信仰の話を聞いて「ああ。これだったのか」と思う事が多かったのです。
まず父は、山を下りる時は声を出しながら走っておりてました。私たちにも「ほいほい」と声を出して駆け降りる事を要求してました。これって産道を通って出る修験道のイニシエーションと同じかなと。あと、下山の時は振り返ってはいけないとも聞いた気がします。これも山岳信仰の伝承と同じです。
直接私にそういったかどうかは忘れてしまいましたが、山を擬人化していたように思います。例えば「山に騙されて神隠しにあってしまうから」「振り向いてはいけない」「道しるべを自分でも作っておけ」みたいな教えを受けた記憶があります。私の幼少時からの感覚で言えば、山は人(神)で、騙したり騙されたりするおおいなる相手という認識がありました。
そして山岳信仰で山の女神(醜い)に対して最初に取れたはぜ(醜い魚)を奉納するという話、確かに川遊びで最初に取れたかじか(この魚も醜い)を「本当は山の神様のものだから食べちゃダメなんだよ」と亡父は言っていたような……。
つまり山岳信仰って、特殊なものではなくて山岳部に住む人たちにとってはなにがしかの「理にかなった」信仰なんだろうと。そんな風に感じました。父が生きていれば色々聞けたのになあ。
二十年近く前に亡くなった人をこんな風に残念がれるなんて、本当に歴史というのは面白いです。亡父の家は奥多摩で林業を営んでいて、幼少の時に一回だけ、父の祖父に連れられて多摩川の上流からたくさんの丸太を下ろしていかだを作って河口まで運んだことがあったと聞きました。きっと小河内ダムの無い時代は水量も豊富でそれが出来たんですよね。
父方の母の家系は奥秩父出身で、峯伝いにお嫁入してきたという話を聞いた事があります。山岳信仰では峯伝いに縦走する事が大切な修行だたようで、峯というのは重要な意味を持っていたのでしょう。山に迷ったら峯に出ろ、あるいは谷底の川に降りろと良く言われておりました、それも修験道に通じるものがあります。父の実家には犬神様のお札が貼ってありました。懐かしいです。
ちなみに母方の父方は相模湾の漁師の家の子です。母方の母方は板橋宿で置屋を経営していたようです。いったいどこでどうやって知り合ったのでしょう?
変な話ですが、時代小説を書く人は家系としては武家が多い感じ。歴史に並々ならぬ関心を抱く人って大概祖先が記録にあって……みたいな人が多い印象があります。私みたいな無名な百姓以下ってあまりないかも? だとしたら面白い話が書けるんじゃないかなって思ってます。
読者の皆さま、良かったら応援してください。歴史を学ぶ面白さを皆様にお届けしたいです。特殊じゃない、市井の人々の話をきっちり書けるようになりたいです。それもお涙ちょうだいじゃなくて、連綿と続いていって我々にも読者の皆様にも繋がってるんだよっていうこの感覚、この感覚をお伝えしたいです。面白い話が提供できるように必死で頑張ります。
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