【武蔵の古代史 森田悌著 さきたま出版会】からの写し(自分が気になった処)
(中略)郡司大領に授けられる位階が外従八位上であるから、正六位上は地方出身者としてはざらにない昇進であり、外従五位下昇叙は最末とはいえ、三位以上の上級貴族を指す貴(き)に準ずる通貴(つうき)と称される五位以上の身分になる事であり、位禄や位田(いでん)、資人(しじん)の賜給に与かり、子孫は蔭位(おんい)の特典に浴することのできるエリートである。武蔵国ではⅡの二の2「高麗・新羅郡の健郡」でとりあげる高麗郡に関わる高麗朝臣の氏人のなかに中央官人として高位高官に達している例があるが、これは渡来系入植者という特殊な人たちで、生え抜きの在地豪族とは異なる。天平宝字八年(764)段階において外従五位下に至っている在地系武蔵国人となると、丈部不破麻呂が唯一人と言ってよいであろう。 (p110-111)
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ここで、丈部直・武蔵宿禰が奉斎したとされる、さいたま市大宮区高鼻町鎮座の延喜式内氷川神社についてみると、天平神護二年(766)、七月に神封(しんぷ)三戸が寄進されるという優遇を受けており、丈部直の急速な浮揚期と時期を同じくし、丈部直と密接した神社であることを示している。
この神社の祭神は近世以降出雲系の素戔嗚尊・奇稲田姫・大己貴神からなる三神とされているが、中世以前にあっては火神カグツチを祭神とし、氷川神社の最重要祭礼である十二月の大湯祭(だいとうさい)は元来は火剣祭を称し、火渡りをともなう火祭りであった。カグツチは出生時に母神イザナミノミコトを焦殺し、怒った父イザナギノミコトにより斬断されるという異様な伝承の持ち主であるが、火徳に注目すると製鉄や鍛冶の場で不可欠な神霊であり、私は氷川神社が見沼に流れ込む水量豊富な泉流、氷川に由来するにしても、火神を祀る神社として発展し、製鉄・鍛冶に関係する人たちが関与した神社であったとみることができるように思うのである。氷川のヒは茨城県水戸市に近い涸沼(ひぬま)のヒと同じで水量が豊富な事を意味し、氷川神社を出雲大社・杵築大社を勧請したとする所見が依拠とする、氷川を出雲の揖斐川に結び付ける理解は、氷川のヒが甲類なのに対し、揖斐川のヒは乙類なので支持しがたい、といわざるを得ない。(同本のp115)
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これは私の要約(p114)
・氷川神社北東の伊奈にはさながらコンビナートのような大規模な製鉄場が存在した(発掘された)
・原材料は元荒川の豊富な水量と大量の砂鉄
・コンビナートで製鉄がなされたのが八世紀後葉、ちょうど丈部直の急速な浮揚と時期が符合する
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