【要約】 自分にとって面白かった部分のみです。他の本からの情報も混ぜてたメモですので正確さを求める人は下記の本をぜひどうぞ。
(「古代日本海域の謎 海からみた衣と装いの文化」新人物往来視野より)
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・魚皮をなめして着る文化はおおむね北緯40度~60度の間の水際に見られる
・特殊な技法を使わないと魚皮を実用的になめすことが出来ない
・魚皮のなめし加工には魚卵か動物の脳髄が使われる
・日本の奈良時代の記録の中に、病気で死んだ牛馬の脳髄を取り分けて献上させる記述があって、これがひょっとしたら魚皮なめし加工のためのものかもしれない。実際に地方の遺跡の中から脳髄をわざわざ取り出したと思われる牛が見つかっている。
・考古学上において「ない」という事は「なかった」を意味しない
・随分前に遺跡内の植物の遺物を植物学者に鑑定依頼したら、単なる枝だと思っていたのが「これは立派な加工物、道具です」と言われたことがあった。それまで道具の遺物といえば石器・土器を意味していてそれ以外のものは考えてなかった=考古学上「ない」。
・ところが新たな気づきで「あった」になった。⇒「ない」は「無かった」とイコールではない。
・つまり魚皮文化が日本に根付いていたかどうかはまだ正確には分からない。今まで「魚皮」を視野に入れて発掘調査をしてきてなかったので見落としているかもしれない。
・(脳髄をわざわざ取り分ける理由としては有力かなと←なめし技術の到来)
・魚皮は軽くて風を通さず天然の防水加工なので表地としても裏地としても非常に良いそうです。
・シベリア・アムール川流域から出土した新石器時代の土器が縄文時代早期の土器と非常によく似ている(絡条体圧痕文)
・ソビエトの学者が来日した折に持ってきた40点ほどの石器(黒曜石)の原産地、2/3が日本だった。男鹿半島産、隠岐島産もあった。時期は旧石器時代終わり~新石器時代初めころ。
・大陸から文化が来ただけではなく日本からも文化が行ってる
・北海道(アイヌ)を中継地点に文化交流?
・新石器時代の日本で麻が出土したが大陸からきていてもおかしくない
・中国と日本では「錦」の意味が少し違う。日本はその色彩を表す言葉と考えられるのではないか。「丹(に)」「紫(し)」「黄(き)」秋の山の色。
【これは私の感想】
大昔の日本列島(日本海側)では男女の衣装が明らかに違っていた。シベリアなどでも男女の衣装が違っている。←これって男女によって寒さに強い、弱いの違いがあるからかもしれないと思った。それと行動様式の違いが衣装の違いに出てくる。
女の方が出産育児があるので皮下脂肪をため込みやすい=寒さに強い。また巣ごもりは女で外で食べ物取ってくるのが男という生活だと衣装を違わせないと合理的ではないのかなと。
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