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響由布子
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日記は数ヶ月ごとに整理しています。
適当に削除していますので検索でたどり着いても該当の日記が無い場合があります。
※連絡先はhibikiyuko〒gmail.com(〒を@に直してください)
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聖書1

■一昨年から昨年にかけて少し暇だったので、前々からの懸案である聖書の勉強をしました。勉強といっても聖書を音読してその意味を把握するという事のくり返しです。今年は3種類の聖書を手に入れてそれぞれの部分を読み比べています。(共同語訳口語訳・共同語訳文語訳・新世界訳)※今のところは殆ど違いが無いです。用語がちょっと違うだけで意味は同じです。
■せっかく勉強したので、取りあえず中間まとめを作っておこうかなと思いました。もちろん解釈は自己流だし、今後もっと勉強して変化するかもしれませんが、現時点の記録として残しておこうと思います。

■ここでいう聖書とは旧約聖書と新約聖書の事です。聖書=キリスト教ではありません。旧約聖書はユダヤ教・イスラム教・キリスト教の教典であり、新約聖書はイスラム教・キリスト教の教典であります(各教とも宗派によって聖書の採否が細分化されますが割愛します)
■現存するもっとも古い聖書は写本で紀元前10世紀のヘブライ語のものです。もちろん原本はこれよりさらに古いはずですが地球上にいつ聖書が出現したのかは人類の誰も知りません。

■皆さんは聖書で一番大事な事は何だと思いますか? 私は「世界には唯一神である絶対神がいる」というこの一点だと思います。
■ちなみに「三位一体」の概念は聖書には出てきません(隅から隅まで読んでないですが、出てこないはずです)。神、神の示す力としての聖霊、神の代弁者としてのキリスト、これらは一体になるわけがありません。なぜなら神は神だけで完全な存在なので、合わせて三位一体になる必然性は無いのです。確かめてないですが論理的に考えてみると、「三位一体」は唯一神である絶対神を信仰する聖書崇拝者から見たら神への冒涜と感じるのではないかと思います。
■ちなみに聖書には「偶像崇拝はNO」とはっきり書いてあります。神は唯一完全なので、像(や絵画)を代替物として使えません。像は不完全だからです。そのような点から考えるとキリストは完全な存在では無い事を再確認出来ます。またこのような意味で現代の主流のキリスト教は聖書から離れてしまっています。
■聖書の写本から唯一神の名前が一斉に消えたのが14世紀らしいです。(不可解な現象です)

■旧約聖書においては神の代弁者は複数いました。ノア、アブラヒム、モーセ、モハメッド等です。(今のところの)最後の代弁者であるキリストは、サタンが支配するこの世の中(サタンはアダムとイブが禁断の実を食べた時から人間の世を支配し始めました)で、ハルマゲドンの後に出現する王国で、神に選ばれて復活した人たちを集めて統治する王となるのがキリストです。←キリストの扱い(?)は今の私にはまだ良く分からないです。キリストが王となる理屈は理解しましたがここでは割愛。

■唯一神は全知全能で、世の中の神羅万象全部を、その深淵なる意図で作りました。
聖書は全知全能の概念を頭に叩き込むための問答集のようなものと思います。
■我々のような俗な人間が聖書を読むと必ず「何でそうなるの?」「何でそうなの?」という記述にぶち当たります。(特に旧約聖書)
■それは、我々には神の深淵なる意図が見えないから分からないだけ、完全神がいるかぎり、正解は必ずあるのです。逆説的に言えば、正しい解の集合体が神、と思っていいと現時点の自分は思います。
■定義の問題ともいえるのではないでしょうか。
「正しい解の集合体を神とする」 ニワトリが先か卵が先か、に通じるものがありますね。
■答えが無い・正しい解が無いはこの世に存在しない。ただし、正しい解を正確に知っているのは全知全能の完全神だけ。
この世界観を頭に受け入れるために聖書はあるのだと思います。それが理由で、私は聖書=「思考実験の書」だと私は思うのです。

■「世界には絶対正と絶対悪が存在する」「そしてその正と悪を見極めるのは我々ではなく神である」「我々はその判断基準を見る事が出来ない。神だけが100%知っている」
■我々が物事の善悪の決定をする事は本当は出来ません。復活の際に選ばれた人たちだけが最終的な善であり(結果論としてそうなります)、楽園に行けるのです。それを選ぶのは神です。キヨハラが選ばれて私は落ちるかもしれません。でもそれこそが「正の解」なんです。この件に関して異論は許されません。何で?⇒「全知全能の神が決めた事ですから間違いはない」で終わりです。全部がそれなんです。
■何度も読んでいるうちに、聖書の世界観が頭に沁みてきます。

■自分に出来る事はほんのわずかで、世の中はすべて神がつかさどります。論文でいうところの前提条件『○○は○○であるものとする』の部分が、『神羅万象すべては全知全能の神の、深淵なる意志によりできたものとする』となります。
■上記の前提条件を本当に受け入れた時、世界が変わります。
■ありとあらゆる事が神の深淵なる意志によって決まるのです。神の決断に間違いはありません。
■この考え方は、景教(ユニテリアン主義)に近いのかもしれません。
■易姓革命に通じるものがあるような気がします……。


■気が向いたらまた聖書の事を書きます。
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