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詳しい話は多分どこかで記事になると思います。
私の書く事より記事の方が正確かなと思うのですが
印象に残ったのはやっぱり「ミステリは書くのが難しかった」
という事でした。彼は書き始めの頃は「自分にはミステリが
書ける」という自信があったそうです。ところがいざ小説を
作り始めてみると、多くの制約がある事に気付いたそうです。
視点の制約、時間の制約、場所の制約 etc....
それと、冒頭の書き出しに物凄く神経を遣っていて22も
バージョンを作って検討したそうです。彼に言わせると
あきやすい現代の読者は冒頭を読んでつまらなければもう
読まないので冒頭さえ読んで続けてくれれば、そこで
読者と筆者の契約が成立したものと思うのだそうです。
契約が成立すれば、読者は契約を守って続けて読んでくれる、
私はそれを信じているという事でした。
それから彼自身は19世紀の新聞小説が好きとの事で、
次から次へと畳みかけるような展開は新聞小説を読んで培った
のかなと思いました。
そして「イレーヌ」の中でも糾弾していましたが、
「なぜ残酷な話を思いつくのか」という問いかけに
「読者がそれを求めるからだ」と強調していました。
彼は「小説一冊では世の中は変わらないが、文学はそれを
変える事が出来るかもしれない(同時通訳)」と言って
いました。世界中の小説が一斉に世の中を変えようとしたら、
変わるかもしれないと。
それは恐ろしい話でもあるなと思いました。
世の中の小説すべてが右傾化したら世界は右傾化する
という事でもあるからです。煽動ですね。
ただ、この事は「イレーヌ」の中でも触れられていました。
「正義が真理に勝つ」という言葉です。「正義=(事実上は)
大衆の判断する好悪の集合体」という事ではないかと
彼の小説を読んだ私は思いました。
「アレックス」では被害者が悪人になったりして
読者は共感をもてあそばれ翻弄されます。
彼の小説の本質はそこなのかなと自分は思いました。
ルメートルは55歳で作家デビューする前には
「図書館で文学を教えていた(同時通訳によると)」そうです。
文学論とか文学史とかだと思うのですが
文学を教える=読み解く議論(哲学的抽象的に)も
たくさんしてきた人なのだろうと感じました。
また、大きな賞をもらって変化した事については、自分自身は変わらないが
自分を取り巻く環境が変わったそうです。「小説家から作家になった」と彼は
言いました。また、数年先まで収入が見込めるようになり、より執筆に
集中できるようになったとも。藤田さんは取材しやすくなったと言ってました。
藤田さんルメートルさん深水さんは確かに作家だと思いました。
それに比べて私は単なる売文家です。ホント……。
でも売文家でもいいかなと思いました。売文家には売文家の求道がありますんで。
ルメートル「私は終わりを決めて書きます」←「?」意外でした
「ラストを書きなおしたいと思った事は?」という質問には
ルメートル「正直思わないでもないがそう思わないようにしている」
藤田宜永「あるけれど、書きあげた時はこれでいいと思ったその事は
確かなのだからそれでいいと思う」
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【追記の追記の追記】
××さんの返信で思いだした事をまた書いておきますね。
藤田さんは「アレックス」を読んで「フィガロの結婚」を
思い出したと言っていました。
彼の小説は、登場人物が作者によってきちんと動かされている
印象があると。逆に藤田さんは登場人物が勝手に動き出して
制御できず、登場人物の赴くままに書いて行って作者が後に
ついて行く事があると。ルメートルさんはそういう事はなくて
登場人物が勝手に動いたとしても全部作者が制御すると
言っていました。
ルメートルさんはミステリ好きでたくさん読んでいたので
「自分にも書ける」という自信が出たらしいです。
なのに実際書いてみたら違っていたという事です。
自分に一番影響を与える時期(10代後半)のお気に入りが
19世紀新聞小説という事でした。(たしか)
橘さん(アレックスの訳者)いらしていたんですか!?
わー見てみたかったです~。
ひょっとして質問者の女性は橘さんだったのかしら…
ルメートルさんは真面目というか、サービス精神が旺盛でした。
司会と藤田さんに物凄く気を遣ってました。
それと大事な事を書き忘れた。
やたら藤田さんや司会の平岡さんにボディタッチしていて、
自分の中で「ルメートル・ゲイ説」が急浮上です。
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