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響由布子
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※連絡先はhibikiyuko〒gmail.com(〒を@に直してください)
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昨晩の夢のこと

あれから色々考えているんだけれども……。
よーーーく考えてみると、実生活でのリアル痛みがある「つるし上げ」よりも、脳内で作り上げた夢想の世界の「夢想のつるしあげ」の方が精神的に大やけど受けて参ってしまうってなんか変じゃないか?
第一夢の中の登場人物って、私以外は全部現実にいない人だし。

もしかして浮遊霊の生前体験でも拾っちまったのかなあ?
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精神的公開処刑の夢

悲しい夢を見た。
自分は今のままのスペックで新入社員になり、4日ほど勤務していた。
小さな会社で社長役員含めて30人から40人くらい。新入社員は6人だった。
ある日、新入社員だけ集められて社長の訓戒を聞くことになった。社長は特定の誰かに対して含みがある発言をしているように聞こえるのだけれども誰に向けているのか意味がわからない。それとも考えすぎで社長は単に思い出話から派生した一般論を言っているだけなんだろうか。すると隣に立っていた同期の佐々木さんが「あれ、あなたのことよ。きょとんとしてたら駄目よ」と耳打ちしてくる。「え?」と思った。というのはその内容は「駄目な奴は何をやっても駄目」みたいな意味合いの内容だったから

それで大部屋に戻ってみると、全社員が集まって立ったまま会合を開いていた。新入社員がぞろぞろ戻ってきたのを笑顔で迎えてくれる。
ところが様子がおかしかった。私には「新しい門出だね」とか「次も頑張ってねえ」「まあ向き不向きあるから」とかそんなのばかりなのだ。「やれやれやっといなくなってくれるか」という呟きがどこからか聞こえてきて初めて全体が見えるようになった。愕然とした。だって全力を尽くして4日間やってたんですぜ??
そこへ社長が来て「みなの講評を聞こうじゃないか」と言う。すぐに新入社員の講評発表会が始まった。
はじめは藤田さんだった。無論、褒め言葉ばかりだ。おそらく私は一番最後だろう。そして酷評とか浴びせられて、辞めさせるためのレールが敷かれるんだろうきっと精神をズタボロにして抵抗できないようにして全員一致の笑顔でたたき出すに違いない。そうだこれは公開処刑なんだ、社会不適合な自分がこうやって精神的に処刑されるんだ……。

慣れない化粧をして身だしなみも気を遣って他人にも気を遣って自分が持てるだけの対人能力を使いつつも仕事も集中してやったように思っていた。今の自分にはこれ以上は出来ないというくらい頑張っていたと思う。与えられた仕事が単純作業だったからそれを完璧に終わらせて余力すらあったようにも思っていた。けどその認識は根底から崩れた。だって単純作業すらまともに出来ないと判断されたから首になるんでしょうに。今まで何十年生きて来たすべてが否定されようとしているのだ。「首」という動かしがたい結果を突きつけられつつ、この場の全員から侮蔑されて退場するんだ……。
講評は一人ずつ和気藹々と進んでいってもうすぐ自分の番、というところで目が覚めた。


こういう夢の話はあまり書かない方が良いのかもしれないけれども、あまりにリアルな夢だったので記しておく。
 
でも、この厳しい公開処刑に比べたら普段の小説道場なんてすごく温かいし親身だなと思う。
どうして皆「自分が潰される」とか「見失う」とか恐れてしまうんだろうか。

 


夢の話

またもや死ぬ夢を見た。病気で死ぬ間際、枕元に昔飼っていた犬が迎えに来た夢だった。
とある人によると死ぬ夢は新しいことが始まる前兆なんだそうだ。なんだろう。

父や犬や商店街の夢を見た

体調がとても悪い時には生のエネルギーが
減って良くない方向に精神が向かう感じ。
ここ十数年おさまってきていた自殺願望がまた
頭をもたげてきてしまった。
自殺願望というと短絡すぎるけれど、正確には
「自分で自分の人生を今すぐ終わらせたい」願望だ。
もっともこうやって書いている=客観視できているわけで
「死にたい」「死ぬ」言う人間は死ぬ勇気は無いから心配は
要らない。内面的にしんどいというだけの話なんで。


昨晩は布団の中で色々な夢を見た。断片的な夢。
父や昔可愛がっていた犬が出てきた。
それから子供の頃あった商店街。
商店街は今はゴーストタウン化している。
父も犬もこの世にはいない。二度と戻らない。

ふと思った。私は母の夢を見たことが無い。
愛されてない・求められてないことを相当根に
持ってるんだろうか? それともまだ手に届く範囲に
生きているから夢に見ないのだろうか。


作家になりたいけど二の足を踏んでいた頃を思い出した。
私は「創作活動は死に近づくことだ」という理屈ではない
本能的な恐怖の念を持っていて、だからこそ「雑念を捨てて
没頭するのが怖かった」というお話だ。
最近はその恐怖についてすっかり忘れてしまっていた。
ゴーストライターとして毎日書き飛ばしていて、
恐怖を感じるヒマが無かった。


今は怖い。
没頭することが怖い。
気を抜いたときに変なことを考え出してしまっている自分も怖い。

初夢のこと

転寝をしてしまい初夢を見てしまった。
とても悲しくて切ない夢だった。

大雑把に書くとこういうことである。
自分と数名が夢の世界の構成員で、自分以外の人たちは
自分がその価値を認めたくない人たち(擬態ウツ病でサボリ
とか嘘つきとか無意味に凶暴とか極度の自己中とかペド
とかボーダーとか)ばかりだった。

その中にあって私は「与えられる幸せ」を渇望していた。
何から与えられるかというのははっきりと意識していなくて
ただ「上から降ってくる愛」に身も心も包まれたかった。
量はほんの少しでよかった。ただ「生きてて良かった」と
思えるくらいの幸運が欲しかったのだ。

ところが誰か(おそらく神)が光を与えたのは私ではなく
私が最も侮蔑するタイプの自堕落な人間だった。
「よりによってなぜ私ではなくあの男なんだ……」
という身も蓋もない飾り気のない落胆は軟弱な私には
ちょっと耐えられない気がした。他人を一方的に侮蔑して
一方的に落胆をする自分の心根の醜さにも心底嫌気が差した。

それで胸が締め付けられて、悲しくて切なくなって
いざ泣こうとして涙腺が盛り上がったそのときに目が醒めた。


今年はどういう年なんでせうか(=_=)


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