■全生園の中で患者さんたちは鬱屈した生活を送っておりました。当時は病気に対する理解も無く、酷い扱いを受けていましたし、意図に反して引っ立てられて収容された人もたくさんいたようです。
■そんな中、彼らの楽しみは創作活動だったとお聞きしました。生み出すことは生きる悦び。それは私にも良く分かる感情でした。歌舞伎役者が入所した時は歌舞伎一座も出来て、祭りの時などに近隣の村人に芸を披露し、近隣の村人の慰めになったとお聞きしました。
■彼らの中に文学に救いを求める者が現れるのは当然だったと思います。北條民雄・明石海人等、後世に名を残しました。
■と言っても自由な言論活動は長い間許されず、園外とのやり取りは全部検閲されておりました。また入所時には現金はすべて没収されてしまいます。抜け道を使って隠し持った乏しい資金の中から小説を買ったり投稿用の文芸雑誌を買ったりしておりました。団体生活だったので、消灯後の執筆は常夜灯のある便所(真冬には氷点下になるという)で、という生活だったそうです。
■園の中には納骨堂があります。生を全うし、亡くなって火葬されたお骨が納められています。家族にお骨を渡す事もしますが、わざと電車に置き忘れたり捨てたりでお骨が戻って来てしまうことがあるそうです。(家にハンセン氏病患者が出た事を知られたくないから)
■全生園の外に出ないでも済むように、様々な宗派のお寺や教会が一角にひしめいていました。また神社も別場所に建立されていました。皆、患者さん達が作ったそうです。
■色々な著名人が寄付活動を行っていたようです。戸締り用心火の用心の笹川良一氏、となりのトトロの宮崎駿氏の名前が出ていました。
■画像はかつて患者さんが住んでいた寮
■いくつかあった教会のうちの一つ