義母の頭がどんどん衰えて行く。今回の原稿修羅場前にはこっちが頼んでおいた「アクリルタワシを編む(かぎ針)仕事」が出来ていたのが、めんどくさいのか理解できないのかパタッと止んでしまった。一応ヘルパーさんには「認知症と戦ってはダメ、受け入れないと」と言われているけど、やっぱりモノツクリが好きだった義母が何も作り出せなくなる状況は(私には)耐え難い。
というわけで今日義母と話し合った結果、Kちゃん(愛しい息子=夫)のチョッキを是非とも編みたい、身につけていて欲しい、けどそれは無理そうだからマフラーを編ませる事にした。毛糸はKちゃんの尻を叩いて一緒に手芸店に行き、自分の気に入った物を買わせ、明日それを届ける事になっている。
ふと思いついて、私も色違いの毛糸を買った。これを義母の個室に置いておいて、様子を見に行った時に私も一緒に編んでみれば、向こうは「嫁に負けるか」と対抗意識を燃やして無事完成するんじゃなかろうかという目論見だ。
もっとも私の事は誰だか分からなくなっていて(何故だか分からないけど毎日のように来てくれているらしい親切なT子さん)という認識になっている。ほんの時たま「あなたはKちゃんのお嫁さんなの?」と言い出し「そうですよ」と返すと「じゃああたしは威張っていいんじゃないの!」と鼻の穴を膨らますのが、物悲しい。嫁いびりも100%出来ないうちにぼけちまいましたね、お義母さん……まだまだあんな程度じゃなくてもっと本腰入れてやりたかっただろうにね。
ところで義母は時折激しいうつ状態になる。これは当然で、「私、ぼけちゃったのね」と自覚した時の絶望はこっちも容易に想像がつく。認知症と老人性うつは切っても切れない仲らしい。認知症とうつ病はセットで考えるべきというのが最近の風潮だ。
問題はうつというのは伝播するということで、私自身もうつになるんです。義母の閉塞感は良く想像できます。頭の能力がどうしようもなくなったからこそ、うつに逃げるしかないんですよね…
それとは別に「介護うつ」というのがあって「もっとああすればよかった」「こうすればよかった」で落ち込んでうつになるんだそうです。でも、こっちはうつになる必要無いと思う。何を置いても自分の人生が第一。自分が一番でいいんですから。それでいいんです。そう思えない人は家族を守れない。私に言わせれば一番大事な人を守れない人はどうしょうもない。
私の意見に興味持った方は是非「塩狩峠」三浦綾子を是非読んでみて下さい。色々考えさせられます。
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