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響由布子
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自己紹介:
日記は数ヶ月ごとに整理しています。
適当に削除していますので検索でたどり着いても該当の日記が無い場合があります。
※連絡先はhibikiyuko〒gmail.com(〒を@に直してください)
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どうしたもんかね…

義母の所にあまりに頻繁に行くと、里心がつくというか「帰りたい」が頻繁になってしまう。その「帰りたい」というのは生家(と言っても我々の24時間アシスタント付)だったり完全同居だったりだ。

無理難題が聞きたくないからといって仕事優先で放置してしまうと、たまに顔を出した時の動揺が一層激しくなってしまう。

心を安定させるには一切会いに行かない方が良いのかというと、それもなんか違う。
義母にとってはまず、子供たちに同居拒否されている現実が受け入れられないようだ。

正解が無いのがつらい。何をどうやっても義母にとっては中途半端で可哀想だ。彼女の思い描く老後は子供たちに愛されて大事にされてかしずかれて……というものだったはずだ。
でも子供たちの恨みは深いし、つらかった長い年月を経た彼らに同居を迫れるほど私は非情ではない。

お友達のYさんは「彼女の生きてきた道の集大成として、子供に捨てられた現実を突きつければいいじゃないの。あなたがそれに付き合って仕事に影響が出る理由が分からないわ」と言う。自分が当事者じゃなければ「そうだよねえ、その通りだよね」と思えるんだけれど……。

ケアマネさんに同居も一応聞いてみたけれど、今の段階では家族が神経をやられる可能性が多々あるらしい。同じ質問を延々繰り返されたり昼夜逆転だったりで、疲弊してしまうのだそうだ。
様子を見に行っても、見に行かなくても、私にとっては後味が悪い。
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花見

昨日は午後出かける前に、義母を花見に連れ出した。
ほんの一年前にはまだしっかりしていた義母なのに、今は頻繁に過去に戻ってしまっている。その過去も、30年前だったり50年前だったりで、ちっとも安定していない。


日常の記憶は全然ダメで、ついさっきした事をもう忘れている。息子の現在の姿も覚えていない。そして同じ質問を2分おきに繰り返している始末だ。

突然正気に戻った(そういう時もある)本人曰く「忘れちゃうんじゃないんだよ。忘れちゃうっていうことは一回頭の中に入るんだから。そうじゃなくて頭の中に入る所が駄目になってる」
妙に感心してしまった。

それでも不思議なもので、桜花の美しさは見たあと30分くらい経ってもはっきりと覚えていた。思い出すよすがにしようと、イベント時にはいつも写真を撮る事にしているが、それが無くても花見の事は多分覚えていられると思う。桜花の底力は凄いなと思った事だった。

見に行った場所はネットで探した。川沿いに桜並木が続く場所で、人があまりいなくて結構な穴場だった。来年も多分ここに連れてくることになるとは思うが、認知症はどのくらい進んでいるだろうか。

強風のせいだろう、桜の花が付いた小枝があちこちに落ちていた。それを義母と拾い集めながら、色々な事を考えた。ひとの一生もあっという間だろう。色々な価値観の人とぶつかる事もあると思う。でも、人生はとても短い。自分の小説で書いた「カウントダウン寸前の河合耆三郎」のように、誰かの目には間違って見えようが「こういう風にしか生きられない」自分の道を手探りで進むしかない。

そんな結論に達し、応援して下さる読者の皆様、編集者の皆様に深く感謝した花見でした。
(あっ…綺麗に終わった)

近況

■花粉症が激化してきました。一昨日あたりからヒノキ花粉が飛んでいるようですが、確かに一昨日から症状が少し変わって、目がとてもかゆくなり、ツルツルの鼻水が出るようになりました。
■薬を飲むほどではないですが、人と会うには薬を飲んだ方が良さそうです。
■猫も亀も元気です。春を満喫している感じです。
■義母の認知症はますます進んで来ました。何だかなぁ……。気の毒というか痛々しいというか。
■老人ホームの義母の部屋で荷物整理をしていて、とっくに亡くなってる彼女の実兄に宛てた手紙を発見してしまった。「すまん!」と思いつつ広げて見たら、案の定生きている相手に向けたような内容だった。しかし「せっかく来てくれたのに突然帰らないで下さい。がっかりします」と書いてあって戦慄した。ほんとに来てるんじゃないかな……ってちょっと思う。
■手紙やはがきは確認して返事を出す物と出さない物とを分けないと、知らない間に千切って捨てちゃったり他人の部屋に置いてきちゃったりで、油断がなりません。また、あかの他人には「あれが欲しい」「これが足りない」と不満を書き連ねているので、介護の参考にはなるんです。
■それにしても、長年培った達筆が見事にグダグダになってしまっている。本人も「漢字を忘れた」と書いているように、酷い有様だ。これが痴呆というものなのだろう。
■というわけで分類タグは「老人介護」にしておこう

足るを知る者は富む

「足るを知る者は富む」
人間の欲望にはきりがないが、欲深くならずに分相応のところで満足することができる者は、心が富んで豊かであるということ。
『老子』に「足るを知る者は富み、強めて行う者は志有り(満足することを知っている者は富者であり、努力している者は志ある者であると言える)」とあるのに基づく。(「故事ことわざ辞典」より

老人介護で一番悩ましいのはこの事かなあと最近思っている。なにせ無理な要求が多い。一つ一つは小さな要求でもほぼ全部無理な事ばかり、拒否してばかりだと、双方ストレスが積もる。

「どうしてわかってくれないのかなあ(それは無理だって事を)」emoji

原因の一つに、義母は老人介護の経験が無い事があげられるかなと思う。認知症の人の生活がどういうものか、傍らで客観的に見た事があるかないか、この経験は大きいのではないかな……、
ともかく義母は望み通りの生活なんて出来ないんだという非常に簡単な事実をなかなか理解してくれない。
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と思っていたら、今月に入って急激に弱気になって大分不平不満を言わなくなってしまった。
そうなるとこっちとしては何だか物足りないのだが、傍観者としてみていても半端な認知症、まだらぼけ状態は本当に苦しそうで可哀想なので、速やかに全ぼけになっていただきたいなと思うんです……。


※余談ですが、「認知症」という言葉が大嫌いです。あんなむごくて絶望しかない病気に耳に心地よい気休めの名前なんて付けるんじゃねーよ!!!

良記事

いちいち頷けることが多かったこの記事。さすが優れた人はいう事が違うよなあ~。。。
私も、もうちょっとしっかりした意見を持ちたいなとチョコッとおもった。
介護は「する人」も「される人」も大変(小谷真理さん)
興味ある方、是非お読み下さい。


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