■今日仕事中に見たもの……「高橋新五郎遺跡」の碑。
■「誰やそれ」と思ってランチ時に調べてみたら幕末~明治の人らしい。以下蕨市の説明から転載:
江戸時代末期から蕨では塚越村を中心に、綿織物業が盛んになりました。
特に、蕨の綿織物業の発展に貢献した塚越村の高橋家5代目新五郎とその妻いせは、「機神様(はたがみさま)」として、塚越稲荷社境内にある「機神社」に祀られ、織物業の繁盛を願う人々の信仰を集めました。
「機神社」前の鳥居〔嘉永5年(1852)建立〕には、「機屋繁栄」の文字が刻まれ、その信仰の深さを物語っています。
現在、蕨西口駅前通りで毎年8月に「機まつり」が行なわれていますが、この「機神社」に、織物業の繁栄を願って8月7日〔高橋新五郎が織物業を始めた日と伝わる〕にお参りする行事が本来の「機まつり」で、現在も行なわれています。
■なんだかすごいことが書いてあるのかも???
■前に「人柱」の研究論文を見たことがあるのですが、それには、市井の人が神として祀られるようになるには、非業の死やいけにえ死が必要」と書いてあったような……。
■ということは、ご夫婦で「機織の神」として祀られている高橋夫妻の命運は何かよからぬコトに翻弄されて非業の死として散っていったのではなかろうかと勝手に妄想。
■でもどうでしょう? それ以外に普通の夫婦が神社まで作ってもらって神として祀られる事態になりますかね……。